アニメを語ること

アニメを語ることに意味を見出したい。そんなに語れているわけではないけれど。

まず、問題意識として、「アニメが消費されている」ことがある。アニメに限らず多くの物語は消費されているけれど。

世間一般に作品が氾濫し消費されていることも問題だが、自分がアニメを消費してしまっていることが1番の問題だと思っている。去年、あるいは前のクールに見た作品の内容があんまり思い出せなかったりするのが問題。

アニメ業界の問題でもあり受容する視聴者側の問題でもあって。

あと、数が多いのは個々のニーズには応えられるとは思うんだけど、他の人と見てるアニメがあんまり被らないから、リアルで同じ作品を語れないというのはある。いや、お前それはネットを使いこなせてないんじゃねーの、というのはごもっともなんですが。。。

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単に好きだから語りたいというのもあるし、好きなものをみんなに知ってもらいたい、認めてもらいたい的な側面もあると思うし、こういう問題意識はとてもよくわかる。

長らくアニメーションにまつわる言説はアート・アニメが主流でした。評論家・研究者にとっては、最初から芸術として作られたそちらのほうが「語りやすかった」のです。テレビアニメは商業主義の産物で、アニメーション特有の「動き」や美術としての美しさよりもストーリーとキャラクターが主体で、大衆消費物として作られているぶん、「芸術」としては劣っているものとされ、長く真面目な批評の俎上に乗らなかったのです。

 しかし「大衆消費物」として作られたものであっても、それなりの歴史の積み重ねがあり、技術の厚みも増して、これを語る言葉がないはずはありません。語られなかっただけなのです。マンガやテレビアニメは、江戸時代の浮世絵に比することができます。浮世絵は初めから「大衆消費物」として描かれ、これを芸術としてみる人はほとんどいませんでした。ヨーロッパ人が初めて浮世家を見た時、日本から輸入した陶器の保護紙としてくしゃくしゃに丸めて使われていたといいます。しかしそこに描かれた絵の美しさにヨーロッパ人は驚嘆したのでした。こうして浮世絵は立派な「芸術」として認知されることになりました。氷川竜介さんがやろうとしたのは、かつての浮世絵的な位置にあったテレビアニメを立派な表現物として同時代的な批評の対象にすることでした。

会社を辞めてアニメ研究家になった理由――氷川竜介の場合。【前編】 | フリーランス、40歳の壁 | ダイヤモンド・オンライン

「文学は個人作業だけど、アニメのクリエイションは集団作業でしょう。それに「ビジネス」として大金で作られる宿命もある。純文学を語る上では夾雑物とされる事象も考慮しないと、アニメの真髄は語れないという想いもあります。」

 

集団作業っていう点に関しては映画も同じだから、映画 が如何に学問になったかというのは参考になるやもしれん

 

 

でも「消費したい欲」も確かにあって、そのお話を初めて見る時の衝撃みたいなものを得たいと思ってる。ネタバレに敏感なのはそういうことだと思ってる。

たくさんのタイトルを見たいという欲もある。今期何見よっかなーって一覧見たら面白そうな作品はいっぱいあるし、世間で話題のアレも見たいなーと思うし、AmazonPrimeやらで見られる過去タイトルも勧められたりなんなりで見たいなーって思う。

数が多いゆえに、体系的に語ることも難しいなと感じる。氷川竜介氏のような引き出しの多さ、生き字引的な知識量は、2000年生まれには持てないという諦めを感じる。

 

 

ところで、現在私は大学で映画を学んでいるのだが、映画を語る(学問する)上で、大きく

①映画史 映画の(技術発展の)歴史

②映画理論 表象作用としての映画

③映画批評 感動に言語で迫る

の3つに仕分けられるようだ。

まずアニメ史を考える上で「アニメ」と「アニメーション」は区別されるべきだろう。

アニメ』と言えばジャパニメーションやディズニー、その他米国でのメジャーな映画・TV作品

アニメーション』と言えば実験アニメーション、自主制作アニメーション、アートアニメーションなど、上の『アニメ』に属さない、(現在での段階では)マイナーなアニメーション作品群

アートアニメーションとはなんだろうか(ArtAnimation私的調査室)

 

アニメの範囲にあるものの中は実はたくさんあって、その中で語りたい”アニメ”は現在見られるもの、30分×12話を1単位としたテレビアニメあるいは120分前後のアニメ映画で、そうなると非常に都合のいい区分け方しないといけなくなっちゃう。

アートアニメーションみたいなのとか好きな人もいると思うけど、自分が語りたい対象で敢えて区分けるなら、『鉄腕アトム』以降かなって感じに思われる。氷川竜介氏もそうしてるようだ。

氷川さんは今、明治大学大学院で客員教授(2018年4月より特任教授)として教鞭をとられています。講義は前期・後期に分かれ、前期はTVアニメを中心とする50年史。単に作家の歴史とかプロダクションの歴史ではなく、時代背景から含めた「アニメビジネス通史」と銘打っている講義です。

フリーは「仕事」こそが最強の営業である――氷川竜介の場合。【後編】 | フリーランス、40歳の壁 | ダイヤモンド・オンライン

www.nfaj.go.jphttp://www.nfaj.go.jp/exhibition/filmclassof2018-animation/

アニメの歴史 - Wikipedia

アニメ - Wikipedia


 

次に「アニメ理論」なるものを掲げるなら、アニメというメディアの特性を考えたり、アニメ独特の表現技法を学ぶことがこれに当たるだろう。

単に作画が良い悪いとかでなくて、絵の動かし方の特徴など、実際にアニメ作ってる方たち以外にはわかりにくいことが多そう。これも氷川竜介氏が明治大学の院で後期に教えてくれるらしい。教科書作って欲しいわ。

anime.eiga.com

diamond.jp

 

アニメ批評、となると、個々の作品について深めるって感じだと思う。これが一番興味ある。やっぱり自分が好きなものを深めたい。

でも、そのためにこそ古典を見たり、技術的に秀でたものを見るのも必要だと思う。面白そうだし。興味ないけど面白そうってのは確かにあって。好きなものをいろんな面から語れることには憧れるしかっこいいし。岡田斗司夫が「オタク・イズ・デッド」で語ったオタクのノブレス・オブリージュ的な感覚はなんかわかる。語る引き出しは多いほうがいい。

 

個人的に興味あるのはこういう感じの。

なんてくくったらいいのかわかんないけど、1回流し見しただけじゃ気づかないようなのが好み。見ればわかるわそんなん!!ってな奴を「考察」って言ってるのはやだ。考察どころか感想ですらなくて、セリフとキャプチャの列挙やんけ!みたいなの。

 

ディケイドもはやアニメじゃないやんけ!というのは尤もで、アニメを語りたいなどと言いつつ実際は好きな作品の知らない一面を見つけたいというのが1番の欲求なのかもしれない。見えるものから何が解釈しうるか?みたいな?ただストーリーをなぞるだけじゃなく。

そういう点で、多くのアニメ雑誌は設定画とか版権イラストみたいなビジュアルや監督、声優へのインタビューなど表層に終始している印象で、そこから何が解釈しうるか、とかが個人的には欲しい。

blog.livedoor.jp

 

aiba.livedoor.biz

 

www.yomiuri.co.jphttp://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3144http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3144

青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2018年3月臨時増刊号 総特集=岡田麿里

 

でもこれだけじゃなくて、例えば「魔法少女」モノの歴史みたいなのには少なからず興味があったりして、「魔法少女まどか☆マギカ」からハードルが上がった(と自分は勝手に思ってる)「魔法少女」を冠する作品が、2018年春には「魔法少女サイト」「魔法少女 俺」と路線の違う2つが出てきたりして面白いなーとか、作品単体を深めるだけじゃなくジャンルの変遷だとか社会背景とかも興味はある。でもこれに気づけたのって、大学入ってリアタイするアニメのタイトルが増えたからってのはある。それは同時に、自分の中で”消化”傾向が強まったってことでもあって、複雑。

 

アニメを語る別な切り口として「メディア文藝」という考え方もあるらしい。

志水義夫氏によると、感動を伝達しようとする試みが文藝で、そのためのメディアが音声→文字→映像と変遷してきたのであって、映像によって語られるアニメも文藝たり得る、アカデミックに議論すべき、というもの。諸々の記事を読んでいると、80年代にアニメをアカデミックに議論しようとする流れはあったと目にしたが、それに関する詳しい情報は現状得られていないです。

あと、大学の授業でアニメを見たりすることはしばしばあるんですが、だいたいの人は何かしらアカデミックな専門領域を持っていて、アニメをダシに自分の主張をしたいだけ、学生の気を惹くためにアニメを利用してるに過ぎないのではないかと勘ぐってしまう。無論そういった大学教員の中には本当にアニメ好きな人もいっぱいいるだろうから一概にはいえないんだが。その点に関して「メディア文藝」という考え方を打ち出しているのはアニメそのものに焦点を当てていて好感。

とは言いつつも、例えば「君の名は。」にフロイトのこういう考えが反映されてる、という風にも読めますよ、みたいな解釈は面白いし興味あるし。そういう意味ではいろんな哲学やら”文学部としての教養”みたいの広く浅く知っておく必要はある。

志水義夫関連

http://love.ap.teacup.com/korremitz/html/mifuqusi201807ver1.0.pdf

https://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E6%B3%95%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%81%8B%E2%98%86%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%AB%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E2%80%95%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%96%87%E8%97%9D%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85%E2%80%95-%E6%96%B0%E5%85%B8%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-71-%E5%BF%97%E6%B0%B4-%E7%BE%A9%E5%A4%AB/dp/4787961713/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1530689429&sr=1-2&refinements=p_27%3A%E5%BF%97%E6%B0%B4+%E7%BE%A9%E5%A4%AB

アニメを既存の学問に組み込む的な発想の本

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%A7%E8%AB%96%E6%96%87%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F-%E3%80%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%80%8D%E3%82%92%E5%AD%A6%E5%95%8F%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95-%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%A5%A8%E6%B2%BB/dp/4623079422/ref=pd_sim_14_1?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4623079422&pd_rd_r=0aaea13d-7f5e-11e8-8a71-0185372cf18d&pd_rd_w=UTGq0&pd_rd_wg=AetoN&pf_rd_i=desktop-dp-sims&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_p=7990452376513976631&pf_rd_r=B9HKNK5KJAYFNK31Z27Z&pf_rd_s=desktop-dp-sims&pf_rd_t=40701&psc=1&refRID=B9HKNK5KJAYFNK31Z27Z

 

実は「オタク・イズ・デッド」を見ながらここまで書いてて、そしたら「オタク・イズ・デッド」は自分にとっては無視できない内容だなと感じてきて。

好きな気持ちを持ってるだけでなく自分が周りの人に伝えるしかない、みたいな主張があって、それは当たらずも遠からずというか。
将来はアニメ作るかアニメ語るかおもちゃ作るかを仕事にしたいなーって自分が今なんとなく思ってるのは、アニメや変身ベルトの玩具に対する蔑視を払拭したいとか、仕事にすることで誰かにそういう自分が好きなものを認めさせたいとか、そういう欲求なのかなと感じたりして。
 
オタク・イズ・デッドに関連して話進めると、

オタクのノブレス・オブリージュ的な感覚について。

今自分が実際見てるのは、世間の評判が高いものでも学術的な評判が高いものでもなく、自分がみたいもの且つ手軽に見れるもの(リアタイとアマプラw)だったり。「アニメを語りたい」に真摯に向き合っているとは言い難い。

1stガンダムと初ゴジは見た。でもヤマトもマジンガーZマクロスもTV版エヴァも見てない。教養がない的な。「ロボットアニメが好きなんです〜」って言うとオジサンたちは「ファイブスター物語とかエルガイムとか知ってる?」「ダグラムとか知ってる?」とか聞かれるんだけど、「ガンダムはSEED以降なら。。。」「ヴァルヴレイヴとか好きです。」ってなる。

共通の話題が欲しい気持ちは確かにあるが、他人に合わせるために自分の好きじゃないものを見るのは違う、けど人に紹介されたものが気になってるのは確か。語れる人がいないというのは確かに根底にはあるのかもしれない。そういえば高校の頃は勧められた且つ見たいものを見てたし、ただただ流行ってるからってだけで見るのは嫌だった。でも流行ってる作品はなんだかんだ見てみたら面白いものはいっぱいあるし、好みじゃなさそうってだけで食わず嫌いするのもよくない。うーん。保留。

 

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語る上で欠かせない要素の一つとして、「人気作品を語ったものは見てもらえるけど、そうでないものは見てもらえない」点はあると思う。

エヴァを語る本は本屋さんにもたくさん出てるけど、例えばヴァルヴレイヴ考察本なんてのはせいぜい同人誌止まりだと思うの。出版することへの拘りはあんまないけど、卒論とか仕事とかってなってくると、やっぱメジャー作品を語らざるを得ないというか。「君の名は。」とか好きだし語りたいし実際レポート書いたし。

好き100%で語るならブログ書いたりとかで全然構わないわけだけど。

 

ここまで書いて、とりあえず何か書かないとなんも始まらねえなということに気づく。語られたものを読んでしかいないので、まずは自分で語りましょうよ、と。

1個の作品にじっくり向き合うのはとっても難しいことだけど、好きに向き合っていきたい次第です。