AIを考える

書きかけだけど投げます。。、。

 

AIは人間になれるか、という問題について。

AIと人間の違いは「自発的に目的を設定できるか否か」という点にある、という。

AIは人間に与えられた目的に沿って機能する。

目的、欲望、評価基準とかそういうヤツ。

人間は個体のみで成り立つ存在、意志決定をしているわけではなく、社会の中の存在であり、社会との相互作用により意志決定している。これを構造主義と言うらしい。

人間も実は目的を自分で決めているのではなく、社会やバックグラウンドによって決めさせられている、すなわち「自発的に目的を設定しているように見える」とも言える。

 

こう考えると「自発的に目的を設定できるように見える」AIのハードルは下がったような感じがする。

 

欲望は欠如を回復しようとすることで生まれる

欠如は不自由な肉体を持ったり社会と関わったり他者と比較したりして生まれるもので身体を持つ必要がある。身体がないこと自体が欠如??→攻殻人形使い??

 

しかしAIは現状、社会と関わるための肉体を持たない。少なくとも人間と同じように関われる肉体は現在持たない。

とはいえこれは目標がハッキリ見えているので実現するのは時間の問題かと思われる。

 他者のように見える、思われるロボットは実現できそうである。

 

 

 道具であることについて。

身体を拡張し、使役されるものが道具であると思っていたが、そうでもなさそうだった。

今回問題とするのは使役されるものであるという点。普段我々が道具として制御できていると思っているものに、実は使われていたり、道具の影響を受け、道具によって新しい欲望が生まれていたりと、完全に使役できていないのだ。

その最たる例がスマホ、インターネットであろう。脚の拡張であった自動車がステータスになったり、ボールペンが筆記だけでなくカチカチとノックする新しい快感を生んだりペン回しに使われたり、

 

道具は自分の一部として身体を拡張するだけでなく、他者的な側面も併せ持つと言える。

 

広く言えば、人間の他者であっても自分の思い通りになる面と、思い通りにならない面とがあり、人によって相手をどう捉えるかはそれぞれだろう。進撃の巨人でアルミンが「自分にとって都合のいい人が"いい人"」っていうやつに似てる。

 

AIやロボットにもそういうことが言えるんではなかろうか。

いまでも既に、ディープラーニングはその思考モデルこそ人間のニューロンを模しているものの、その過程は人間の思考形態とは異なっていて、アウトプットが人間に理解できるものだから制御できている気がしているだけのこと。紙オムツとビールの逸話や囲碁AIやDeep dreamの画像などで実現しているように、人間の気づかない特徴量を発見し、既に人間を超えつつある。

 

AIは(広義の)他者(思い通りにならないもの)たりうるということですね。

たまにロボットは人間が電源切れば止まるから暴走するわけがないという人がいますがそれには違和感を覚えますね。

 

AIとも友好的な関係を築くことができるのではないでしょうか。

 

ところで、なぜAIロボットの反乱が恐れられているのか。

それは想定しているAIが中途半端なものだから。中途半端な人間への恐怖がAIに転嫁反映されている。

核兵器に代表されるだろう、倫理道徳の不足した状態の技術を手にすると、人は、時に暴走してしまう。それらへの危惧が反映されているということだ。果たしてこれは克服できるのだろうか。。。

 

話が散らかってしまいまとめられないなどと