「ポストヒューマン論」

近年、シンギュラリティやらムーアの法則やらなんたらで、AIが人間を超えてしまうことが危惧される。同時に、フィクションであるSF作品に現実の技術が追いつくことが予想されることから、それに伴い発生するであろう問題をSFに見いだすことも盛んになされる。

 

AI或いは機械が道具として抱える問題は、やはり自らが生み出したものに凌駕されてしまう(可能性がある)ことだろう。道具は人間の支配下にある時は非常に便利なものであるが、支配から逸脱してしまった時にそれは危険なものになってしまう。現存する他の多くの道具と同じように、適切に使用することで人間を助ける存在として共存できるだろう。

加えて、AI特有の問題としては、AIが「動物の中の人間」としてのアイデンティティを脅かしうることが挙げられる。道具とは人間のある能力を拡張したものであり、本質的に人間の能力を(一部分は)超越している。その中でAIは人間の脳、知能を拡張したものである。知能は、動物の中の人間を特徴づけると同時に優等種たらしめるアイデンティティであり、それをAIによって脅かされることに抵抗を覚えるのは当然ともいえる。しかもその相手が、自分が作り出したものとなると、それはなおのことだろう。

「フレンズによってとくいなことはちがうから!」とはいかないだろう。

こうした技術の発展において、もうひとつの問題が浮上する。

技術と融合してゆく人間はその形態を大きく変える可能性があるということだ。

ダナ・ハラウェイは「サイボーグ宣言」において「人間/機械/動物の境界が曖昧化したもの」をサイボーグと定義していて、これらサイボーグは現在の我々にとって身近なものになりつつある。フィクションのSF作品においても、サイボーグは頻繁に扱われる。

遺伝子によって少しずつ姿形を変える生物の進化に対し、技術は生物を急激に変化させる。急激な変化は如実に露顕するため、その変化に生命観や倫理観などの肌感覚が追いつかなくなってしまうのではないだろうか。

これは人間の定義に触れ、その再考を迫る(アップデートされる)。

「人間に似ているが何かが欠けている存在」は普段意識しない人間観を炙り出し再考を迫り、それを人間と捉えるかどうかで、人間の定義に必要な構成要素や新しい人間の姿が見えてくるのだ。

 

 

 

と、ここまで書いて『文系人間のための「AI」論』という本を読んだ。

 機械が人間を超えた後の人間と機械の姿について、双方を互いに補い合うかたちでサイボーグとして共存してゆくだろう、という考えのもと具体的に未来の人間の姿や課題について考察されていた。

個人的には、創作における人間とロボットには関心があったが、現実に結びつけることにあまり興味がなかった。しかし、自分の関心であった「ロボットを人間に見立てること」は機械を道具と使役することではなく、ロボットと人間を対等な存在と考え共存を図ることが相応しいと思い読み進めたわけでありんす。

自分はロボットを人造人間と広く捉えていたが、その中でも特に機械やインターネット、BMIに絞った氏の発想は新鮮なものであった。

人間の肉体というものは、周囲と自分を隔絶する境界であり、同時に外界の情報を収集する端末でもある。これを捨てることは今現在の人間の肌感覚からは遠くかけ離れており叶わないものと思われる。がしかし、いずれ人間は肉体から意識をデータとしてアップロードし仮想世界で生活するようになることもまた考えられるという。

SAOやドライブのクリムや蛮野博士、ID-0とか

ヴァルヴレイヴでは、肉体と生死を共にする人間と、他の生物の肉体を転々とする精神生命体マギウス、そして両者の特性を取り込んだハイブリッドたるカミツキが存在する。共存してたかと言われると微妙。共存というか協力してたからカミツキ製造機が作れたわけだけど、なんかよくわかんねえ。やっぱヴァルヴレイヴ面白いな

同じサイボーグという言葉を使ってても、機械で肉体を拡張するのと、肉体を捨てて意識をネットに上げるのは全く別物だなとは感じる。肉体を拡張するのか精神を拡張するのかってとこなのかな?目に見えないところを弄るとなると怖い気がするけど、そういうとこって無自覚のうちに変わってたりもするもので。意識がネットワークに接続されることで精神の境界がなくなるってのは、コードギアスとかでもあったアーカーシャの剣か集合的無意識かみたいなのも思い浮かぶ。

便利さを求める欲望と、大きすぎる変化によって自己同一性が失われる恐怖と板挟みのジレンマは脳の可塑性によって受け入れられ、技術の発達は進んでいってしまうとしている。その例として、文字に関するプラトンのテクノロジー論などを示した。技術に関するジレンマが今に始まったことではなく、人間はそれを受け入れて変化してきたのだ。しかしやはり急激な変化は自己同一性を損い、受け入れ難く感じてしまうと思う。。。

 

創作だとキャラクターに感情移入するため比較的受け入れやすいというか、既存の価値観を打ち破ることができそうな感じもする。。。何が言いたいかわからなくなってきたワ。。。

前半と後半で1週間跨いだから話題がゴチャゴチャなんだけど、前半は例の本の前半ちょっとを読んで書いた、後半は全部読み終わってから書いた。