「劇場版ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」感想と考察

2ヶ月ぶり。

ソードアート・オンラインの映画を見てきたので忘れないうちに書き留めておこう。原作は未読、アニメは1期しか見てないですがその内容も踏まえて。セリフはうろ覚えだしユナと悠那は全部ユナって書いてるし細かいとこは適当になっちった。 

 

 劇場版の目玉はなんといってもAR。

VR・・・仮想を現実化する、仮想世界を現実だと錯覚させる

AR・・・現実を仮想化する、現実を仮想世界だと錯覚させる

これは重村教授の講義でのキリトからの指摘で明確に言語化されていた点。

オーグマー(AR)とアミュスフィア(VR)は両者とも現実と仮想を繋ぐガジェット。

AR側は経産省と関わってたり、ARでの体験に応じてクーポン券を発行したり、ブイブイ現実側に干渉しているなという印象。

対するVRでの体験、経験は実体を伴わないもの。意識だけを肉体から切り離してるから、そこでの経験は記憶にしか残らない。SAOクリア後にキリトが竹刀を剣の如く振って思い通りにいかなかったように、自分の意識に肉体の制動が追いつかないみたいなことも起きる。これは重村教授が講義でもVRのリスクの1つに挙げてて、逆にARのオーグマーの方はフィットネスに活用されてたり。経験が肉体に蓄積されるかというところ。まぁ記憶は物理存在である脳に蓄積されるんだけど笑

 

 アニメ1期では、そうした仮想世界で築かれた、形の残らない記憶だけの関係の強さ、それは確かに存在してるんだよってことを示した。

SAOでは仮想世界で現実さながらの関係を築き、同時に、仮想世界の夢から覚めることで仮想世界での経験が失われることを恐れた。ALOでは、仮想世界での経験や関係は確かに現実まで続いているんだ、という力強さを示した。

だから、「これは、ゲームであっても遊びじゃない。」

 現実世界でもキリトとアスナは恋人で、たまにはみんな集まってオフ会をして、VRでの経験は現実に繋がってる。ミクロ化するなら、顔の見えないインターネットの向こう側にも生きた人がいるんだよ、的な?

 そういう点で、VRから始まったキリトとアスナの恋愛関係とその描写は本作において必要不可欠なもの。キリトとアスナの仮想世界での想いの象徴たるユイ、肉体を持たないAIという存在(二人の関係に魅せられたと直接語られてもいるが)ゆえにあえてユイは二人の子供でなくてはならないと思う。余談だが「死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ」と一度は仮想と現実を切り離したキリトだったが、それはグランドクエストでのリーファの必死の救出によって否定?救済?されたんじゃなかろうか。

 

  そして劇場版では、その関係の脆弱な一面を、実際に記憶を消してみせることで示し、二人はその試練を打ち破った。死の恐怖に怯えるのはSAO時代のエイジすなわちノーチラスと同じ。剣を抜き敵に挑むは、死の恐怖に打ち勝った者だけ。SAO第100層のボス戦に挑むアスナの姿よ。

 

 思い出に実体はないけど、経験を共有した人たちの間には確かに存在していて、でもそれは同時に脆くはかないものでもあって。その脆さを補うアイテムとして、アスナの日記だったり、文字に記録するって方法がある。SAO事件何ちゃらって本もここに入るかなって思ったけどやっぱちょっと違うかな。

 

個人的に、物が記憶や想像のトリガーになったり、物が記憶の依代になったりすることに関心があったので、本作での「実体はないけど確かに存在しているもの」というのは何かとビシビシくるものがあった。

 

 

 劇場版もう一つの目玉、新キャラのエイジについて。

エイジとユナは、キリトとアスナの、あり得た可能性の姿、if的存在でもある。2組とも仮想世界で生まれた関係。 もしアスナがSAOの犠牲になっていたら。キリトはアスナを救うためならなんだってするだろうし、実際にALOではアスナのため必死に戦った。まだ現実では話したこともなかったのに。エイジにとってのユナもきっと同じ。

 ここでエイジと重村教授について。エイジはSAOではボス攻略で活躍できず、名前が本に載らなかった。忘れ去られた存在。ユナを始め他にもそういうプレイヤーは大勢いるでしょう。アスナは覚えててくれたけどね。重村教授はSAOというデスゲームの犠牲になったプレイヤーの遺族。両者ともアニメ1期では描かれなかった、影の存在。

二人は元SAOプレイヤーたちの記憶の断片をもとにユナの人格形成を試みる。人と人とが共有してる経験とか記憶が思い出なんだろうけど、逆に記憶から人を作っちゃうという。

SAOでの経験は辛い記憶ばかり、みんな本当は忘れたいと思っているんじゃないのか?と重村教授。

 

大切な人を守りたくても足がすくんで動けなかった。戦う覚悟を決められなかったSAOでの自分、血盟騎士団のノーチラスを否定しながらも、SAOで知り合ったユナへの思いを持ち続け現実世界で行動を起こすエイジは矛盾していて、それは自分のSAO時代の記憶を抜き取られる瞬間に初めて自覚された。

 

エイジが纏うパワードスーツはAR上でのチートであり、実力の伴わない借り物の力。VRのアバターと同じ。彼が否定した伝説の「黒の剣士」の力に同じ。3週目の入場者特典の小説を読めていないので、それ読むとこの辺の認識変わる気がする。だれか貸してくれ。エイジがやたら攻略メンバー恨んでるのもなんでか思い出せん。単なる嫉妬とかではないよなあ、なんだっけ。ここ保留で

 

重村教授に対するユナの最期の言葉「お父さんとの思い出の中で私は生きている」は、エイジのSAOでのユナとの思い出と、重村教授の現実でのユナとの思い出の両方を肯定する救いになっているといいな。。。

ユナはエイジにも最期に何か言ってたよな、これも覚えていない・・・。 

 

AIのユナがSAO後日談の本に興味を示した理由はまだわからん、保留。

 

 

 死の恐怖を乗り越えボスに挑んだ攻略組だからこそ、英雄と語られる「黒の剣士」だからこそ、そして何よりSAOでの記憶と向き合っているからこそ、キリトはエイジに「過去の自分を受け入れられない奴に負けるわけにはいかない」と強く出る。あれここなんて言ってたっけ違う気がする。実際、攻略組よりもそうでないプレイヤーの方が多かっただろうし、戦いに目を背けたからといって一概にエイジを責められないところではあるんだけど。SAOで楽しそうにしてた人はキリトとアスナだけだったってユイも言ってたくらいだし、SAOでの記憶を大事に思えるSAOサバイバーは少ないかもしれないけど、やはり本作のテーマは「過去をなかったことには出来ない」ことかな、なんて思うとキリトはここで勝たなくちゃいけない。

 

 

本に名前が刻まれなかった、世間一般にその名を知られることのない多くのプレイヤーや犠牲者がいたことを、戦地に赴きボスを攻略したプレイヤーだけがSAOの全てじゃなかったということを、どうか忘れないでいて、という祈り、なのかな。

 

 

 現実だろうと仮想世界だろうと、あったことをなかったことには出来ない。出来ないし、しちゃいけないんだ。それこそがテーマソング「Catch the moment」に語られた一期一会の精神。エイジも、SAOの、ユナの記憶を失いそうになってようやくそのことに気づいた。

もう一度やり直したら君に出会えないかも。 

ゲームのセーブデータはやり直せるけど現実にコンティニューは無くて、それはSAOのデスゲームが見せた世界そのものでもあって。過去をなかったことには出来ない。やり直せない。

今の現実を生きる自分も、忘れたくてもわすれられないこといっぱいあるけど、向き合っていかなくちゃいけない。

 

まだまだ見落としてることはいっぱいあるけど、ひとまず、本当によく練られた、最高の続編だったと思う。

 

 ※3月18日加筆

 キリトがエイジに勝てたのはエイジが過去から目を背けていたのに対しキリトは過去に向き合っていたから。という旨。

SAOでのことはもちろん、キリトは義理の妹(?)・直葉と向き合おうとしていた点でも、そうなのだなと思った。やっと直葉が見えてきた。

ユナを生き返らせようとするのも、過去と向き合えてないと言えてしまうのがエイジくんカワイソス。

 アスナに会えて、2人とも生き延びて、キリトくんはめちゃくちゃラッキーな境遇にあるってことやね。

 

9月30日追記

SAO記録全集を持ったエイジの「攻略組でないと覚えてもらうことすらできない」に対して2人の幸せな時間をいつまでも覚えていたいキリトとアスナ。記憶に対する観の違い的な。大勢の人から覚えててもらいたいっていう知名度とか名声欲みたいなんでなくて、本人当人にとってのみ価値があればそれでいいみたいな、と思います。当人固有の経験はその人にとってのみ価値が認められるものですよね。

かといってエイジくんが本に載りたかった、或いはユナが本に載ってて欲しかったって思ってたわけじゃなくて、羨ましかったとか拗ねてたとかそういう感じな気がする。黒の剣士とか閃光とかもそういう皮肉ですよね。そういう点ではSAO記録全集第二版に加筆されたって話は蛇足に思えてならない。そういう救済は違うかなって思ったり。

キリトくんに論破されたエイジくんはここから前に進めるかしら。地下の駐車場から出てきてくれたのできっと大丈夫かな。キリトくんが勝者の理屈じゃんと思っていたのだが、それは上で言った、たくさんの人に覚えてて欲しい、ではなくて、2人の間で覚えていたい、っていうそれが良かったなと思った。まあアスナが生きててユナが死んでて、それゆえにキリトとエイジの行動はああも違ってたというのはやはり否めない。、、、。

 

あと内容とは別で思ったこと。映画館で見るのと家で見るのとでは全然違う体験だなってこと。映画館は映画だけに集中せざるを得ない環境で、それゆえに色々思うところがあったのだろうけれど、レンタルを家で見た時には映画館で見たことを追体験することは出来なかったように感じた。2回目だからってのもあるかもしれないけど、同じ作品を映画館と家という違う環境で見ることで、映画館という空間の良さを感じた気がする。