修行について

サイボーグに関して、侵襲式の強化には抵抗を感じたのでその原因を探るべく考察しました。

身体的なアイデンティティの喪失に起因すると思ったのでそこから。

 

まず人間の身体能力の変化について、4つの分類を考えました。速度と+−に注目して、

・修行(+、遅い)

・老化(−、遅い)

・改造(+、速い)

・事故(−、速い)

改造ってのはサイボーグのこと、本題。

事故ってのは交通事故とかそういうやつ。

 

例えば、事故で全身不随になってしまったとしたら、それはきっととても辛いだろう

これについては創作と実話とで事例をいくつか挙げると、

海を飛ぶ夢

最強のふたり

・おしゃべり目玉の貫太郎

1個目の例は、全身不随を受け入れられずに安楽死を望む話。2、3個目の例は全身不随を受け入れてる話。3個目については、はじめは受け入れられなかったけど徐々に肯定したのだそう。ここから、身体的な変化に適応するには時間がかかるであろうということ。

では次に、老化による身体能力の低下について。実際に老化を体感したことはまだないが、例えば歳をとって重度の認知症になって自分や自分の周りのことがわからなくなってまで、或いは歳をとって歩いたり日常生活が自分だけでできなくなったりしてまで長生きしたいか、と考えてみる。これはめちゃくちゃ難しい問題だと思う。事故であれ老化であれ、今まで通りの生活が出来なくなったくらいでは人間の生命の尊厳は失われない、それでも必死に生きようとする姿こそ尊いとも言えるし、逆に最も理想的な状態で命を終わらせることを良しとする人もまたいるだろうし。

 

こんどは+方向について考えてみる。

スポーツの練習とか、勉強とか、身体で覚えるだとか感覚を身につけるとかそういうのが修行だと思ってる。

対する改造はサイボーグ化するとか、ガンダムに乗るとか、脳みそをインターネットにつなぐとかそういうこと。

未来に技術がどこまで行くかはわからないから想定できる範囲で話すと、

例えばガンダムに乗るとして、ゲームが上手い人が乗るのと、飛行機のパイロットが乗るのと、武道の経験がある人が乗るのとではポテンシャルが違うよねって思って、そしたら結局は修行と改造の併用共存が必要になる。

脳みそをインターネットにつないでいつでもGoogle検索かけられるとして、ある程度基礎知識がないと何て検索すればいいかわからないよね、とかそういう。

で、もしテクノロジーによってゲームの経験とか飛行機操縦経験とか武道経験とかが補えるとしたら、つまり意志とは関係なく動くとしたら、それは果たして本当に自分がガンダムを操縦してると言えるのか、すなわちそれはただの自律駆動人形となってパイロットを必要としないのではないかと。

ユニコーンガンダムがいくら脳波をダイレクトに読み取るからといって、阿頼耶識システムがいくら直感的に操縦できるからって、パイロットに戦闘経験がないと銃弾や斬撃には反応できないはずで。

そしたら結局身体能力を強化するとは言えなくなってるわけで。

自分がサイボーグになってたりガンダムに乗ってるってことは他の皆もまた同じような強化を施されていると考えるのが妥当だからまあそうなると思う。アニメの主人公なんかは他と違う特別な強化を施されるけど現実的ではないかな。

この発想は結構大事だと思ってて、すなわちサイボーグ化というのは画一化と同じってこと、ここにもアイデンティティの危機が出てくると思う。単に急激な変化だからってじゃなくて。

 

するとだな、最初に示したうち能力が低下する方は検討する必要ないってことになるか。、、、

 

肉体が画一化されるとその個性はパイロット(精神、経験値?)の能力に依存するし、それすらも技術により画一化するならばそこに生身の人間は最早必要ない。

そしたら意識をネットにアップロードした新たな生命のかたちが生まれるのかな。それは想像することすら難しい。。、

 

生物の遺伝子の本懐として、なるべく多様化し個性を生むことでイレギュラーに対応し種を保存するっていうのがあると思うんだけど、肉体の画一化はそれに反するよねと思う。

 

 

この手のことを考えてるといつも結論は出ないものだ。。。今日はこれにて閉幕。。。。。。、

「ポストヒューマン論」

近年、シンギュラリティやらムーアの法則やらなんたらで、AIが人間を超えてしまうことが危惧される。同時に、フィクションであるSF作品に現実の技術が追いつくことが予想されることから、それに伴い発生するであろう問題をSFに見いだすことも盛んになされる。

 

AI或いは機械が道具として抱える問題は、やはり自らが生み出したものに凌駕されてしまう(可能性がある)ことだろう。道具は人間の支配下にある時は非常に便利なものであるが、支配から逸脱してしまった時にそれは危険なものになってしまう。現存する他の多くの道具と同じように、適切に使用することで人間を助ける存在として共存できるだろう。

加えて、AI特有の問題としては、AIが「動物の中の人間」としてのアイデンティティを脅かしうることが挙げられる。道具とは人間のある能力を拡張したものであり、本質的に人間の能力を(一部分は)超越している。その中でAIは人間の脳、知能を拡張したものである。知能は、動物の中の人間を特徴づけると同時に優等種たらしめるアイデンティティであり、それをAIによって脅かされることに抵抗を覚えるのは当然ともいえる。しかもその相手が、自分が作り出したものとなると、それはなおのことだろう。

「フレンズによってとくいなことはちがうから!」とはいかないだろう。

こうした技術の発展において、もうひとつの問題が浮上する。

技術と融合してゆく人間はその形態を大きく変える可能性があるということだ。

ダナ・ハラウェイは「サイボーグ宣言」において「人間/機械/動物の境界が曖昧化したもの」をサイボーグと定義していて、これらサイボーグは現在の我々にとって身近なものになりつつある。フィクションのSF作品においても、サイボーグは頻繁に扱われる。

遺伝子によって少しずつ姿形を変える生物の進化に対し、技術は生物を急激に変化させる。急激な変化は如実に露顕するため、その変化に生命観や倫理観などの肌感覚が追いつかなくなってしまうのではないだろうか。

これは人間の定義に触れ、その再考を迫る(アップデートされる)。

「人間に似ているが何かが欠けている存在」は普段意識しない人間観を炙り出し再考を迫り、それを人間と捉えるかどうかで、人間の定義に必要な構成要素や新しい人間の姿が見えてくるのだ。

 

 

 

と、ここまで書いて『文系人間のための「AI」論』という本を読んだ。

 機械が人間を超えた後の人間と機械の姿について、双方を互いに補い合うかたちでサイボーグとして共存してゆくだろう、という考えのもと具体的に未来の人間の姿や課題について考察されていた。

個人的には、創作における人間とロボットには関心があったが、現実に結びつけることにあまり興味がなかった。しかし、自分の関心であった「ロボットを人間に見立てること」は機械を道具と使役することではなく、ロボットと人間を対等な存在と考え共存を図ることが相応しいと思い読み進めたわけでありんす。

自分はロボットを人造人間と広く捉えていたが、その中でも特に機械やインターネット、BMIに絞った氏の発想は新鮮なものであった。

人間の肉体というものは、周囲と自分を隔絶する境界であり、同時に外界の情報を収集する端末でもある。これを捨てることは今現在の人間の肌感覚からは遠くかけ離れており叶わないものと思われる。がしかし、いずれ人間は肉体から意識をデータとしてアップロードし仮想世界で生活するようになることもまた考えられるという。

SAOやドライブのクリムや蛮野博士、ID-0とか

ヴァルヴレイヴでは、肉体と生死を共にする人間と、他の生物の肉体を転々とする精神生命体マギウス、そして両者の特性を取り込んだハイブリッドたるカミツキが存在する。共存してたかと言われると微妙。共存というか協力してたからカミツキ製造機が作れたわけだけど、なんかよくわかんねえ。やっぱヴァルヴレイヴ面白いな

同じサイボーグという言葉を使ってても、機械で肉体を拡張するのと、肉体を捨てて意識をネットに上げるのは全く別物だなとは感じる。肉体を拡張するのか精神を拡張するのかってとこなのかな?目に見えないところを弄るとなると怖い気がするけど、そういうとこって無自覚のうちに変わってたりもするもので。意識がネットワークに接続されることで精神の境界がなくなるってのは、コードギアスとかでもあったアーカーシャの剣か集合的無意識かみたいなのも思い浮かぶ。

便利さを求める欲望と、大きすぎる変化によって自己同一性が失われる恐怖と板挟みのジレンマは脳の可塑性によって受け入れられ、技術の発達は進んでいってしまうとしている。その例として、文字に関するプラトンのテクノロジー論などを示した。技術に関するジレンマが今に始まったことではなく、人間はそれを受け入れて変化してきたのだ。しかしやはり急激な変化は自己同一性を損い、受け入れ難く感じてしまうと思う。。。

 

創作だとキャラクターに感情移入するため比較的受け入れやすいというか、既存の価値観を打ち破ることができそうな感じもする。。。何が言いたいかわからなくなってきたワ。。。

前半と後半で1週間跨いだから話題がゴチャゴチャなんだけど、前半は例の本の前半ちょっとを読んで書いた、後半は全部読み終わってから書いた。

ソードアート・オンラインと仮面ライダーエグゼイド 〜ゲームと現実を繋ぐ〜

 

プレイヤーが死んでしまうゲームという点で似てると思った2作を比べてみようかなと思い書き始めましたが、書いてみたら意外と全然似てなかった

 

ソードアート・オンライン」作中に登場するゲーム「ソードアート・オンライン」は、ナーヴギアを使って意識をゲーム世界にフルダイブしてプレイするVRゲーム。ゲームオーバーとなったプレイヤーは現実世界でも死亡してしまう。

 

仮面ライダーエグゼイド」作中に登場するゲーム「仮面ライダークロニクル」は、一般市民がライドプレイヤーに変身して、ゲーム世界から現実世界に現れたバグスターと戦うゲーム。しかしゲームオーバーにとなったプレイヤーは消滅(死亡)してしまう。

 

類似点

ゲームで人が死ぬ。

ゲーム世界(仮想世界)と現実世界を繋ぐものである。

 

相違点

プレイヤーがゲーム世界に行くのか、敵キャラが現実世界に来るのか。

ここがSAOとOSの比較と1番違うところかな。

ゲームの敵キャラによる反逆は、ライダーと怪人が本来は同胞であり、敵である怪人にも同情(感情移入)するように作られた仮面ライダーならではの切り口であると思う。同時に、創造主への反逆、親殺しといったテーマをも内包しうる。

 

ゲームでの死と現実世界での死を結びつけるという同じ事象でも作品によって大きく意味合いが違ったわけでした。

 

 

SAOについては別記事で一応詳しく書いているのでそちらも参照されたし。

http://plastix.hatenablog.com/entry/2017/03/14/034146

 

SAOは、コンティニューできないゲームから、人生は一度きりであって過去はやり直せないこと、だからこそ一瞬一瞬を大事に生きようということが語られた。

 

エグゼイドは、人に作られ消費されるだけのコンテンツであり情報にすぎないゲームの敵キャラが、人間に復讐する。

人間のエゴによって生み出され消費される家畜のような存在、大量消費社会の被害者は大勢いるだろう。

それらが意思を持って反逆したら...というお話、なのかな。

命に関わるという点から、ドクター(医者)とも絡めてお話が現在展開されています。

ゲームキャラの能力を書き換える、チートにも神にも等しい能力を得た永夢くんはこれからどうなってしまうのでしょう、、、危うさしか感じないが、、、

 

「劇場版ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」感想と考察

2ヶ月ぶり。

ソードアート・オンラインの映画を見てきたので忘れないうちに書き留めておこう。原作は未読、アニメは1期しか見てないですがその内容も踏まえて。セリフはうろ覚えだしユナと悠那は全部ユナって書いてるし細かいとこは適当になっちった。 

 

 劇場版の目玉はなんといってもAR。

VR・・・仮想を現実化する、仮想世界を現実だと錯覚させる

AR・・・現実を仮想化する、現実を仮想世界だと錯覚させる

これは重村教授の講義でのキリトからの指摘で明確に言語化されていた点。

オーグマー(AR)とアミュスフィア(VR)は両者とも現実と仮想を繋ぐガジェット。

AR側は経産省と関わってたり、ARでの体験に応じてクーポン券を発行したり、ブイブイ現実側に干渉しているなという印象。

対するVRでの体験、経験は実体を伴わないもの。意識だけを肉体から切り離してるから、そこでの経験は記憶にしか残らない。SAOクリア後にキリトが竹刀を剣の如く振って思い通りにいかなかったように、自分の意識に肉体の制動が追いつかないみたいなことも起きる。これは重村教授が講義でもVRのリスクの1つに挙げてて、逆にARのオーグマーの方はフィットネスに活用されてたり。経験が肉体に蓄積されるかというところ。まぁ記憶は物理存在である脳に蓄積されるんだけど笑

 

 アニメ1期では、そうした仮想世界で築かれた、形の残らない記憶だけの関係の強さ、それは確かに存在してるんだよってことを示した。

SAOでは仮想世界で現実さながらの関係を築き、同時に、仮想世界の夢から覚めることで仮想世界での経験が失われることを恐れた。ALOでは、仮想世界での経験や関係は確かに現実まで続いているんだ、という力強さを示した。

だから、「これは、ゲームであっても遊びじゃない。」

 現実世界でもキリトとアスナは恋人で、たまにはみんな集まってオフ会をして、VRでの経験は現実に繋がってる。ミクロ化するなら、顔の見えないインターネットの向こう側にも生きた人がいるんだよ、的な?

 そういう点で、VRから始まったキリトとアスナの恋愛関係とその描写は本作において必要不可欠なもの。キリトとアスナの仮想世界での想いの象徴たるユイ、肉体を持たないAIという存在(二人の関係に魅せられたと直接語られてもいるが)ゆえにあえてユイは二人の子供でなくてはならないと思う。余談だが「死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ」と一度は仮想と現実を切り離したキリトだったが、それはグランドクエストでのリーファの必死の救出によって否定?救済?されたんじゃなかろうか。

 

  そして劇場版では、その関係の脆弱な一面を、実際に記憶を消してみせることで示し、二人はその試練を打ち破った。死の恐怖に怯えるのはSAO時代のエイジすなわちノーチラスと同じ。剣を抜き敵に挑むは、死の恐怖に打ち勝った者だけ。SAO第100層のボス戦に挑むアスナの姿よ。

 

 思い出に実体はないけど、経験を共有した人たちの間には確かに存在していて、でもそれは同時に脆くはかないものでもあって。その脆さを補うアイテムとして、アスナの日記だったり、文字に記録するって方法がある。SAO事件何ちゃらって本もここに入るかなって思ったけどやっぱちょっと違うかな。

 

個人的に、物が記憶や想像のトリガーになったり、物が記憶の依代になったりすることに関心があったので、本作での「実体はないけど確かに存在しているもの」というのは何かとビシビシくるものがあった。

 

 

 劇場版もう一つの目玉、新キャラのエイジについて。

エイジとユナは、キリトとアスナの、あり得た可能性の姿、if的存在でもある。2組とも仮想世界で生まれた関係。 もしアスナがSAOの犠牲になっていたら。キリトはアスナを救うためならなんだってするだろうし、実際にALOではアスナのため必死に戦った。まだ現実では話したこともなかったのに。エイジにとってのユナもきっと同じ。

 ここでエイジと重村教授について。エイジはSAOではボス攻略で活躍できず、名前が本に載らなかった。忘れ去られた存在。ユナを始め他にもそういうプレイヤーは大勢いるでしょう。アスナは覚えててくれたけどね。重村教授はSAOというデスゲームの犠牲になったプレイヤーの遺族。両者ともアニメ1期では描かれなかった、影の存在。

二人は元SAOプレイヤーたちの記憶の断片をもとにユナの人格形成を試みる。人と人とが共有してる経験とか記憶が思い出なんだろうけど、逆に記憶から人を作っちゃうという。

SAOでの経験は辛い記憶ばかり、みんな本当は忘れたいと思っているんじゃないのか?と重村教授。

 

大切な人を守りたくても足がすくんで動けなかった。戦う覚悟を決められなかったSAOでの自分、血盟騎士団のノーチラスを否定しながらも、SAOで知り合ったユナへの思いを持ち続け現実世界で行動を起こすエイジは矛盾していて、それは自分のSAO時代の記憶を抜き取られる瞬間に初めて自覚された。

 

エイジが纏うパワードスーツはAR上でのチートであり、実力の伴わない借り物の力。VRのアバターと同じ。彼が否定した伝説の「黒の剣士」の力に同じ。3週目の入場者特典の小説を読めていないので、それ読むとこの辺の認識変わる気がする。だれか貸してくれ。エイジがやたら攻略メンバー恨んでるのもなんでか思い出せん。単なる嫉妬とかではないよなあ、なんだっけ。ここ保留で

 

重村教授に対するユナの最期の言葉「お父さんとの思い出の中で私は生きている」は、エイジのSAOでのユナとの思い出と、重村教授の現実でのユナとの思い出の両方を肯定する救いになっているといいな。。。

ユナはエイジにも最期に何か言ってたよな、これも覚えていない・・・。 

 

AIのユナがSAO後日談の本に興味を示した理由はまだわからん、保留。

 

 

 死の恐怖を乗り越えボスに挑んだ攻略組だからこそ、英雄と語られる「黒の剣士」だからこそ、そして何よりSAOでの記憶と向き合っているからこそ、キリトはエイジに「過去の自分を受け入れられない奴に負けるわけにはいかない」と強く出る。あれここなんて言ってたっけ違う気がする。実際、攻略組よりもそうでないプレイヤーの方が多かっただろうし、戦いに目を背けたからといって一概にエイジを責められないところではあるんだけど。SAOで楽しそうにしてた人はキリトとアスナだけだったってユイも言ってたくらいだし、SAOでの記憶を大事に思えるSAOサバイバーは少ないかもしれないけど、やはり本作のテーマは「過去をなかったことには出来ない」ことかな、なんて思うとキリトはここで勝たなくちゃいけない。

 

 

本に名前が刻まれなかった、世間一般にその名を知られることのない多くのプレイヤーや犠牲者がいたことを、戦地に赴きボスを攻略したプレイヤーだけがSAOの全てじゃなかったということを、どうか忘れないでいて、という祈り、なのかな。

 

 

 現実だろうと仮想世界だろうと、あったことをなかったことには出来ない。出来ないし、しちゃいけないんだ。それこそがテーマソング「Catch the moment」に語られた一期一会の精神。エイジも、SAOの、ユナの記憶を失いそうになってようやくそのことに気づいた。

もう一度やり直したら君に出会えないかも。 

ゲームのセーブデータはやり直せるけど現実にコンティニューは無くて、それはSAOのデスゲームが見せた世界そのものでもあって。過去をなかったことには出来ない。やり直せない。

今の現実を生きる自分も、忘れたくてもわすれられないこといっぱいあるけど、向き合っていかなくちゃいけない。

 

まだまだ見落としてることはいっぱいあるけど、ひとまず、本当によく練られた、最高の続編だったと思う。

 

 ※3月18日加筆

 キリトがエイジに勝てたのはエイジが過去から目を背けていたのに対しキリトは過去に向き合っていたから。という旨。

SAOでのことはもちろん、キリトは義理の妹(?)・直葉と向き合おうとしていた点でも、そうなのだなと思った。やっと直葉が見えてきた。

ユナを生き返らせようとするのも、皮肉ながら過去と向き合えてないと言えてしまうのがエイジくんカワイソス。

 アスナに会えて、2人とも生き延びて、キリトくんはめちゃくちゃラッキーな境遇にあるってことやね。

革命機ヴァルヴレイヴ 第6話「サキ・カムバック」

どのへんがカムバックなのかにも注目してみようかと。

サキ・カムバックと言われると、月面にハルトとエルエルフを迎えに来た時の先を方を思い浮かべるのだが対置されているのだろうか。

 

・「私、有名になりたいの」

 「私の歌を世界中の人が聴くの。」

 コクピットに入れてもらえないハルト。

サキが「この学校に入れられてから諦めてた」ことは歌で有名になることか?誰も聞いてない独白だから間違いなさげ。いや、これは自分を納得させるための自分に対しての建前ってこともあるか。ハルトを見上げながら「あぁ...これで…(2人ぼっちになれる)」ってことかもしれん。まあ契約するときはハルトもキューマも上向いてた気がするけど(アキラと山田は契約シーンなし)。ハルトと向かい合ってのけぞって絶頂してるとすると10話ラストと同じになるw

 

道路に鹿がいるのが違和感。被災地の避難区域に野生動物が蔓延るってのはあるけどさ。メタ的には鹿は「非力」の象徴らしい。

ブルーシートのマントが11話朝のハルトの青いブレザーの反復ってのヤベェ

 

「流木野さん、戻って!」

「やーよ!」

「どうなるかわかんないのに、人間を捨てちゃうなんて、キミの大切な人が悲しむとは思わないの?」

「危ない!」

「へーき。だって、不死身なんでしょ?それに、私に大切な人なんていないし。」

「えっ」

「貧乏。暴力。アルコール。犯罪。ホント、毒みたいな親だった。親から逃げるには、あの最低な世界から抜け出すためには、有名になるしかなかったの。」

「流木野さん。。。」

「私なんかどうなってもいいの。家族も、友達も、誰もいないんだから。」

「流木野さん…その...僕に何かできることがあるかな…?」

「どうして…」

「だって、友達が泣いてるんだ。力になりたいよ!」

「ハルト、あなたっていい人ね。」

「ごめんね。だって、嘘だから。」

 

流木野さん何考えてんのかよくわからないから別で全編通して詳しく観たい、一旦パス。

まあ誰しも1つのことだけ考えてるわけじゃないし行動に一本筋が通ってるとも限らないし、わからんですよ。

過去に家族絡みでつらい目にあったのは間違いなくて、でも友達が全くいないってのはちょっと盛ってる?芸能人だからと色眼鏡で見られはするけど

ハルトが気になってるから悲惨な過去を盛って話してみたけど「友達」としか言われなかった、「大切な人」とか「特別な人」とかではなくて。だからちょっと悪戯してみた。1話の「彼女は死んだの」とか、やたら2人の仲いいのに食って掛かったり、素っ頓狂な「えっ」を言ったり、もともとハルトを気になってる節はあると思う。プールはサボるけどハルトがいる掃除には行くんだもん。2話でヘリから飛び降りたりとか、やたら肝が据わってるなとは思うけど動機にハルトがあればまあわかるかもなと。

1話のハナっからサキがハルトを好きだとしてそのキッカケは全くわかんないけども。

誰とでもいいから2人ぼっちになりたくて、そのうちだんだん好きになったのか、ハルトが1人ぼっちだったからこそサキも進んでカミツキを選んだのか、どうとでも考えられると思う。

 

 

・「じゃ、月で。」

 ARUSの月周回軌道軍ですから。モジュールごと月に行く。

 

・「もうひとつ下の階層の…これですか?」

 なんだかんだ子供の面倒見る貴生川先生。まあヴァルヴレイヴ絡みだからってだけかもしんないけど。管制室にコクピットの映像を映すのと「伝達系の出力調整を、数値を見ながらす」るってのは関係あるのかな。

 

・「時縞くん、流木野さん見なかった?」

 サキのレイプ祭り。なめこの伝道師とか元ネタはわからんが、「男の子って楽しい」からして男になって女に悪戯してるってのはわかる。 

 

・「カイン様、ねぇ」

 

・「私とて選ばれたカルルスタインの男。ルールは承知している。」

 裏切り者には死を。わかってるけどエルエルフが諦めきれない

 

・「人の体勝手に使って!!」

 

・「嘘だったくせに」

 「約束は約束。それに、前払いもしたでしょ?」

  ここで「前払い」と口にして初めて、あのキスは前払いという意味を持つ。サキとハルトの間では「キス⇔ハルトの体を使う」が成立したように思われたが、のちのちサキが「そうか、これって、呪いなんだ」と受け入れて初めて「サキがハルトの体を使う⇔ハルトがサキの体を使う」という因果応報ともに「こころの繋がりを求めてたのに、純粋に肉のみを求められてしまう」呪いがサキの中で成立する。一方「世界を暴くシステム」を謳うヴァルヴレイヴ(ピノ?)にしてみればハルトというミクロな世界を暴いたことになり。メタ的には「やりたいこと全部やっちゃおう」と明るいステージ上で唱えるショーコに対し、暗い外でヤりたいことをヤっちゃってるハルトって皮肉の配置にもなる。事象の意味は観測者が各々決定する。そういう「前払い」。語呂的には「サキの先払い」の方がよかったw

 

・「今日は僕の妹を紹介します。といっても、本当の妹じゃなくて、でも妹みたいに大切な存在なんです。」

 ピノとプルーがこういう関係だった説。実の兄弟だとサトミとアキラがおるな。

 

・「ハルトはさ、1人ぼっちのヴァンパイアになって、どうだった?私はね、ずっと…」

 サキの話はまたしても遮られる。「私、この学校に入れられてから諦めてたけど…」

この2か所は同じようなことを言おうとしてたと思う。ヴァルヴレイヴの中=祠の前で2人きりってシチュエーションも同じ。ちょっと溜めてたら遮られちゃうのも同じ。

 

・「ううん、これはハルトじゃない。」

 祠の前で、またしてもショーコのハルトへの献身っぷりを見せつけられるサキ。「1話→6話」で「夕→朝」で「無関心→積極アタック」で。ハルトに冷めてんじゃなくて、ハルトにもショーコにも関心が向いてるように感じる。

 

・「あーばかばかしい。別にハルトなんてどうでもいい。私はただ有名になりたいだけだから。」

 「自分の存在を世界に刻み付けないと、消えてしまうから。」

 サキの本音と建前が全然見抜けない。ポロっと出た本音にも聞こえるけど適当に取り繕った感もある。戦闘パートからして有名になりたいのは本当だろうと思うけど

ウソっぽいホントが多いのかなという気はする

 

・「カーミラよ」

 カーミラは同性愛の女吸血鬼。

カーミラといえば個人的には名前のスペルを入れ替えて色々名前変わるみたいのが印象的だった。関係あるかはわからんが。

 

・「ロボットって、何台もあるんだ」

 「ヴァルヴレイヴが…2人…?」

 「聞いてないぞ、もう1機いるなんて!」

 みんな数え方が違う。

 

・「他人に期待するのはとっくにやめたのよ。自分でやって見せる。」

  独白が本音とは限らない。これがそうかはわからないけども。終盤「自分のための強がり」っていうのも劇中で直接言葉で示されてること。

 

・「武器は…スピンドルナックル、これね。」

 武器を装備するときはVサインでボタン2個同時押し。6号機のハミングバードでもおなじだったような。

 

・「私は世界一のスターになるんだから。」

 有名になりたいってのは本気だろうなぁ。そのためにハルトを利用するって体で仲良くなろうとしてるのかな。でも男になって女をからかうってのは別の願望が顕れてるっ気がする。

 

・「やらせて、さっき思いついたことがあるの」

 応援されたからってパイロットスキルが向上するわけじゃない、普通に被弾してるし。サブの脚を使って攪乱するってのは、応援の前に既に思いついてたことだし思考レベルが向上したわけでもなく。応援されたことで勇気が湧いてきた、恐怖が薄らいだ程度。

「見られる」ことによって自らを奮い立たせ、敵機に立ち向かうサキ。四号機は宙を踏み鳴らして跳ぶのだけど、丁寧なのは、それで決して「強く」はなっていないように描かれること。「気合を入れたら強くなる」なんて世界観じゃないから。覚悟を決めたり気合を入れたりしても強くはならない。度胸よく踏み込みができるとか、幾らか集中力が上がるだけ。勇ましい劇伴になっても四号機はコツコツ被弾し続け流木野さんの「ヘタ」っぷりを欠かさない。特徴的な空間跳躍機動も「気合を入れたから思いついた・できるようになった」モノじゃない。覚悟を決めたり気合を入れたりしても強くはならない。度胸よく踏み込みができるとか、幾らか集中力が上がるだけ。勇ましい劇伴になっても四号機はコツコツ被弾し続け流木野さんの「ヘタ」っぷりを欠かさない。特徴的な空間跳躍機動も「気合を入れたから思いついた・できるようになった」モノじゃない。

 

 

・「この戦争をWIREDにアップして、コックピットの映像も」

 「世界が…見てる」

 本来プライベートスペースであると思われたコクピット内が世界中から見られてるっていう転倒を、全天モニタに映したWIREDのメッセージに囲まれることで表現してる。全方位を囲まれた全天モニタだからこそ、SNSというツールが普及したからこそ出来る見事な表現。

全天モニタは自分と世界を「繋ぐ」壁であり「隔てる」壁。嘘の壁。

 

自分を見る「みんな」の反応は呟きとなって表れる、そのタイムラインを表示することで「見られている」ことを認識する。ここはもう現代的というか、20世紀ではありえなかった概念だ。

 

 

革命機ヴァルヴレイヴ 第5話「歌う咲森学園」

・「一度やってみたかったんだぁ、これ」

 カップ麺を切り裂いて溝がつくられる。ハルトがモジュールを切り離した動きのようにも見えるし、もっと別の断絶の示唆かもしれないし。身長的にそうとはいえ真ん中の棚に溝ができたみたいになっているのがまたなんとも。

 

・「もーブラ透けてるよー」

 ヴァルヴレイヴの起動には水浴びが関わってるってのがあったがこれはなんじゃろな

 

・「それはいのちだ!自由も平等も、すべていのちがあってこそ!」

 霊肉一致と聞いてふと気づいたが、人間は霊と肉のどちらか片方でも欠けたらいのちは尽きてしまうな、と。多くの人は肉が損傷して死ぬわけだけど、ハルトとマリエは霊の方が欠けて死んだなーなんて。両方揃ってこそのいのち 

 

『ハムエッグは世界・太陽はいのち』(革命機ヴァルヴレイヴ第09話「犬と雷」感想&テーマ考察) : LOVEの穴

 

・「時縞先生、一体どんな悪魔と取引したっていうんです...」

 契約ではなくて取引という繊細な言い回し。悪魔と直接契約してるのはヴァルヴレイヴのパイロットだけ

 

・「病み上がりなのになにしてるんですかー」

 病み上がりって怪我の時にも言うの?病気も併発してたのかな。ってか貴生川先生とショーコって爆発時に同じ車に乗ってたのに先生は怪我してショーコは無事なんだね。

怪我してたから車から逃げられなかったのかな、逆に。

 あと、このシーン、扉越しに七海ちゃん側が明るくて貴生川先生側が真っ暗になってて。順当な明暗演出ならみたまんまの印象だけど、一捻りありそうな。時縞博士から勘当された貴生川先生に対して直属エージェントの七海ちゃん、という見立てはわからなくもない。

インクエッジ on Twitter: "そのアキラが外に出る出ないをやってるシーン。光と闇のコントラスト。10話でも明所暗所の同時進行がより強く成されたが、こうやって光と闇の視覚表現をするもののなかでもヴァルヴレイヴは「正しい・暖かい・未来=明」「悪い・冷たい・過去=暗」て http://t.co/ImNLLNn6E0"

 

・「私が礼儀を教えてあげますわ」

 ジングルベルの突拍子なさは何回見ても鳥肌立つ。イミワカンナイ

キャットファイトのくだりもイマイチピンときてない

『好奇心が猫を殺す』(革命機ヴァルヴレイヴ テーマ考察) : LOVEの穴

 

・「違うよ、違いますって」

 ギャオラの着ぐるみがハルトを体現してる。

半人半獣のすがたとか、文字通りの「超生命」とか、無意識のうちに疑似レイプしちゃうとことか、その相手が抵抗しないだとか

 

「もうちょっと奥まで...よっと...よし、入ったぁ~」

「臭いね」「でもあったかいよぉ」

この前後のセリフは全体的にソレを連想させるものが多すぎるというか、

『オモテとウラその1・ハルト』(革命機ヴァルヴレイヴ テーマ考察) : LOVEの穴

 

・歌うサキ

 ヴァルヴレイヴは今話初登場。巨大感を煽る演出しかなされていない。あとパイロットのいないヴァルヴレイヴは立たないだとか

 

インクエッジ on Twitter: "「何故、革命機ヴァルヴレイヴ第5話「歌う咲森学園」はあんなにも巨大ロボットなのか?」てヤツ、昨日再確認のために改めて観て「しかしコレちょっと普遍性ないかも」と思って喋らなかったんだが、やっぱやる。何故、歌う咲森学園は巨大ロボなのか。 http://t.co/Ux6YngHsup"

インクエッジ on Twitter: "まぁひとことでいえば「巨大ロボットに巨大感を煽るコトだけをさせ、損ねるコトを一切させない」というだけのものなんだけど。 http://t.co/cG8dnQEO3c"

インクエッジ on Twitter: "立つ巨像、上空を飛ぶ旅客機、脇をブッ飛んでく新幹線。「巨大である」とハダ感覚が許す既知のオブジェクト。それに重ねられる情景だけで5話の巨大ロボット登場シーンは構成されている。これ以外でパッと思いつけるものになると…船舶もちょっと普遍的じゃないな。「誰でも見る」って域じゃない。"

インクエッジ on Twitter: "「巨大な」人がはるかに「小さな」人と同じ速度で身振りしては巨大には感じない。「人間より」ゆっくり動作するから自分が無意識に抱えた「おおきいもの」のイメージに重なり、ハダ感覚の壁をすりぬけられる。なので巨人は概して「ゆっくり」動く。 http://t.co/GdPshbLea4"

インクエッジ on Twitter: "その感覚、視界がまさにコレ。空からなのに近づいて離れて自由自在。程よい高さから見下し見上げられる…オレにとってこんな「リアリティある映像」はないわ。そんとき当時も「ロボットに乗ったらこんなカンジなのか」と思ってたんで、そういうこと。 http://t.co/GHW4o7fuFc"

 

 4話ではタカヒが歌姫だったけどサキにポジションを奪われてしまったのれす

歌姫が神話の語り部っていうのはなんとなくしっくりくる。

 

・「探検隊です。まずはこのモジュールを、把握しておくべきだって。」

 PVがオモテなら、エレベーターシャフトはウラ、明暗演出からもそう。

ここでもヴァルヴレイヴは巨大な置物に徹する。操縦するシーンがないことは、自分とロボットとは別物である感を強調する。逆に2話のハラキリブレードなんかはめちゃくちゃ人機一体してた。

インクエッジ on Twitter: "すこぶるシンメトリーに「表と裏」の情景をロボットの映像として配したもの。自分だけのウラ側は忌み嫌う呪いの巨人でありつつも、同時にパブリックな英雄というオモテがたしかにある。極端なまでの両側をひとつのエピソードの画で見せるという展開。 http://t.co/yDjrEnRYcU"

インクエッジ on Twitter: "コレな。ロボット自体は微動だにしない。微動だにしないということはすなわち「操縦していない」。ハルトはここでもPV内でも、たしかに壱号機に乗り込んでロボットを操縦しているんだけど、どちらも「操縦している画」は完封されている。 http://t.co/HDAfOgvLX9"

 

コックピット内はパーソナルスペース、「コクピット=私のこころ」ってのは、のちのちアキラが実際そこに引きこもることからも言えるかな。

稼働状態っていうのは条件というか差異として意識してみようかな

 

そもそも「相乗り」という行為は「私のなかに入ってくる他人」であり、パーソナルスペースへの侵入者は私自身の内面への他者からの干渉の可視化。私のコクピットに他人を入れる・入れないという芝居がそのまま「かれを私が受け入れるか否か」を表現する。

 2話で稼働中の壱号機に相乗りしたエルエルフはそこでハルトの内心を垣間見たし、エルエルフをジャックしたハルトはコックピット内でエルエルフの内心、すなわちリーゼロッテの存在に触れる。ショーコは壱号機のコックピットでハルトとヴァルヴレイヴの契約とハルトの思いを知る。ハルトとサキは何度も相乗りとその拒絶を繰り返してる。

 

 でも「コクピット=私のこころ」を描きつつそれと同時に真逆のこともやってる。

ここのキスシーンでは、あたかもコックピットはパーソナルで密室かのように振る舞うけど、実はそうではなくて第三者、すなわちピノが見てましたよ、と。

6話ではコックピットの映像を全世界に配信することでパーソナル性を排除しつつ、WIREDのコメントを全天円周モニタの全面に映し出すことで「世界に見られてる」感の象徴とした。

インクエッジ on Twitter: "全天モニタならではの「私と世界を隔てる壁」性、モニタで覆われた球体は世界を認識する殻であるという性質…これはヴァルヴレイヴの「世界を曝く」テーマにはもちろん重要。だから映像にする。「コクピット=私のこころ」という位置づけで描くんだ。 https://t.co/njQsmIiihe"

 

 

 ところでサキはここまで、ハルトとショーコの関係に妬いてたように見えたんだけど、ハルトのことが気になってるのか、それとも心で通じ合ってる(ように見える)ハルトとショーコのような関係に憧れて妬いてたのかがよくわからないである。

キスした5話終了時点ではハルトに目をつけてるように思われるけど、ハルトとショーコが幼馴染って知って驚いてた時(ハンドマイクのシーン)とかはどう思ってたんだろ。

6話でハルトを見限ってショーコ好きになったみたいなのもあったけど。

 

1期5話

「でも、感謝もしてる。私、この学校に入れられてから諦めてたけど...」

サキの話は肝心なところで遮られがち。諦めてたのは歌のことか有名になることか、と捉えられがちだけど、実は他にもあって...ってなところじゃなかろうか、なにかな。

こころの繋がりのことだとしたら、今まで「芸能人だから」となにかと難癖つけられてきたからもうこの学校で私の望む関係の友達は作れない、っていう諦めかな。アイナちゃんいたけど。

 

「そのかわり私たち、2人ぼっちになりましょ。」

 心で繋がってる関係を望むサキの「2人ぼっち」というフレーズ。カミツキの苦悩とヴァルヴレイヴの秘密を共有する仲

 

1期10話

「ふたりぼっち終了か。」

1期最終話

「流木野サキさん。僕と、結婚してください。」

「ええっ!(紅潮)」

「僕の人生を賭けて、責任を取らせてほしいんだ。」←ここで我に返る

「ばっかじゃないの」

「えっ」

「私、アイドルなのよ。誰か1人のものになるなんてありえない。」

「でも、僕...君に」

「子供ねーハルトは。私芸能人なのよ。あんなことくらい、もうヤりまくり。ハルトにはわからない、大人で汚い世界にいたの。」

「嘘だ。君はそんなんじゃ」

「ハルトだってわかってるんでしょ、あれがカミツキの発作だって。ハルトは、私たちの総理大臣を助けに行って。私、あの人嫌いじゃないし。」

2期11話

「ねぇ、どこまで覚えてるの?貴生川先生にルーンのこと聞いたの。記憶が消えていくんでしょ。そして最後は…」

「私の前まで無理しないで」

「約束しよう。最後まで絶対諦めないって。」

「(諦めなかったら、想いも届くの?)」

「結果なんて誰にもわからないけど、でも諦めたら絶対叶わないから、約束。」

7話冒頭

「200年が過ぎても、約束は約束、でしょ?」

 

2期最終話

「ねぇハルト、私ね、あなたの記憶が消えるって聞いた時、ちょっとだけ期待したの。だって、幼馴染って最強じゃない?記憶が消えたら、私も彼女と対等になれるんじゃないかってね。フっ、ヤな女よね、ホント。」

記憶を消費するとわかったのはマリエが死んでからつまり2期5話冒頭。ここでハルトとエルエルフと貴生川先生はこのことを知る。サキはこの時アードライのとこにいるから、知るのは帰ってきてから、2期11話のジュース飲んでるとこの前。貴生川先生から聞いたってね。最後の時点ではハルトのこと好き。対等ってのはハルトに対してショーコと対等ってえことよな。

遊戯王《水晶機巧》相手ターンシンクロまとめ

クリストロンデッキを使っていて、相手ターンのどのタイミングでシンクロ召喚していいのかメチャクチャ迷ったから調べました。wiki等の文章をクリストロンの効果向けにまとめなおしてみた。

  

 まずチューナーの効果から。

水晶機巧チューナー

「水晶機巧-〇〇」の効果は1ターンに1度しか使用できない。

(1):相手のメインフェイズ及びバトルフェイズに発動できる。

〇〇からチューナー以外のモンスター1体を効果を無効にして特殊召喚し、そのモンスターとこのカードのみを素材として機械族Sモンスター1体をS召喚する。

 

《フォーミュラ・シンクロン》

(2):相手メインフェイズに発動できる。

このカードを含む自分フィールドのモンスターをS素材としてS召喚する。

 クリストロンチューナーの共通効果および所謂アクセルシンクロと呼ばれる相手ターンにシンクロできる効果は誘発即時効果スペルスピード2に分類される。

で、この誘発即時効果が相手ターンのどのタイミングに使えるのかということが知りたい。
 ここで登場するのが「優先権」。まずはwikiの説明から。

 

優先権/Priority

  各フェイズやステップでカードを最初に発動する権利は、常にターンを進めているターンプレイヤーにあります。これをターンプレイヤーの「優先権」といいます。
 相手プレイヤーは、ターンプレイヤーが優先権を持っている限り、自動的に発動する誘発効果以外は、先にカードを発動する事ができません。
 「優先権を行使してカードを発動した場合」と「優先権を放棄した場合」、優先権は自動的に相手プレイヤーに移ります

 

 つまり、相手ターンに優先権が相手プレイヤーから自分に移った時に、誘発即時効果の発動、すなわち相手ターンシンクロが行える。

 

 ひとつめ

以下の発動をした場合(直後に優先権は相手に移る)
  • スペルスピードに関わらず、魔法カードと罠カードのカードの発動時および効果の発動時。
  • 効果モンスターの起動効果、誘発即時効果、誘発効果の発動時。

カードの発動にチェーンして別のプレイヤーが効果を発動できるのはこのルールによるもの。ここで効果の発動に対してチェーンする権利をお互いに放棄すると、効果の発動が終わって効果の処理が始まる。

 

このルールに従いチェーンを組んでシンクロすると、

例えばチェーン1に相手が効果発動、チェーン2に効果でシンクロ召喚、とすると、

逆順処理が行われて、チェーン2のシンクロ召喚→チェーン1の効果処理、となるから

召喚に成功した後にチェーン1の処理が挟まるから「召喚に成功した時」っていうタイミングがなくなる。 チェーンの処理中に新しい効果は発動できない(チェーンブロックを組めない)。

「召喚に成功した時」がなくなると、《奈落の落とし穴》や《激流葬》の発動タイミングがなくなるので、召喚が妨害されにくい一方で、《ブラックローズドラゴン》や《氷結界の龍トリシューラ》のように「このカードがシンクロ召喚に成功した時発動できる」と書かれた時の任意効果も発動タイミングを失ってしまう点に注意。

 

 

 ふたつめ

 ターンプレイヤーが各フェイズ、各ステップを次に移行することを示すこと、および、その行動を相手プレイヤーが承認すること。

 

相手のメインフェイズ終了時にブラロぶっぱとかはこれ。

でも、メインフェイズ中にシンクロ素材モンスターを除去されるとコレは決まらない。

なーんだ、相手ターンブラロぶっぱってあんまり出来ないんじゃないの?

いえいえ、そんなことは御座いません、ちゃんとチェーン1で相手ターンシンクロできるタイミングはまだあるのです。

 

 

 みっつめ

  • 優先権の放棄について。
    優先権の放棄をする必要のある行動は以下のものがある。
    これらの行動は「お互いの優先権の放棄」をした直後、ターンプレイヤーができることである。
    • カードをプレイする場合
      メインフェイズにて、何らかのカードプレイをした後に新たに次の内容のカードプレイをしようとするとき。
      • モンスターの召喚・反転召喚・特殊召喚、表示形式の変更
      • カードのセット
      • スペルスピード1の魔法カードの発動
      • モンスターの起動効果の発動
      何も言わずにターンプレイヤーがこれらの行動を引き続き行おうとした際に相手が異議を唱えて巻き戻す事が可能である。
      すなわち、一つ目の効果処理直後のタイミングに戻りクイックエフェクト(スペルスピード2以上の効果)を発動することができる。

 

つまり、効果の処理が終わってから、次に新しくスペルスピード1にあたる能動的な行動をする前に、「効果解決時の処理直後」というタイミングが挟まるから、そこでクイックエフェクトをチェーン1として発動する権利があるということ。

例:《テラ・フォーミング》でフィールド魔法をサーチした後、発動する前に《マインドクラッシュ》で落とされる等

 相手ターンにチェーン1でシンクロ召喚すると、「召喚に成功した時」のいわゆる奈落タイミングが発生するので(《融合》などのチェーンブロックに乗る特殊召喚と同じ)、連続して相手ターンシンクロが狙える。あるいは、シンクロ召喚する効果の処理が終わった後に再びこのタイミングが訪れる。いずれにせよ連続シンクロは出来る。

 

優先権絡みのタイミングはたぶんこの3通り。

 

クリストロンだと、クリストロンチューナーの共通効果でシンクロチューナーをシンクロ召喚した後に、シンクロチューナーの効果で大型シンクロを立てることが多いから、シンクロ効果の発動タイミングは多ければ多いほど良いわけで、タイミング知ってると知らないとでプレイングが全然違うよなーと思う。

 

間違ってるところがあったらコメント等指摘お願いします。