少女☆歌劇レヴュースタァライト第一話「舞台少女」

雰囲気だけでも今期トップクラスに面白いと思います。

メディアミックスやら2.5次元やらの売り方も新しそうな感じ。CM見た瞬間からかなり気になってた作品です。

幾原邦彦氏の系譜だと巷では騒がれているようですが知識がないのでわかりませぬ。

前半はラブライブっぽい。雑にまとめるなら、平凡な子が覚醒して1話はおしまい。随所にキャラが個性を出してて、無駄がないというか配慮が行き届いている印象。お昼ご飯のとことかほとんど喋らないのにキャラが立ってる。

ここからはいくつか気になったモチーフを拾っていきます。

まず王冠の髪飾り。これが溶鉱炉に落ちて溶けてしまい、代わりに得たのが戦闘衣装一式。王冠の髪飾りは頭飾りにリベイクされた。すごく大事な約束の証って感じだったのに1話にしてなくなっちゃうのは衝撃ではあった。 EDにもでてきてたのに。わかりやすく生まれ変わった象徴だとは思うが、「日々進化中!」から受けるイメージは一気に生まれ変わる、というよりはじわじわ変化していく感じではあって。謎多き一品。

次にキラキラの髪飾り。変身した神楽ひかりは髪飾り増量。個人的に気になったのは、星見純那に押されてる神楽ひかりは星型の舞台飾りに寄りかかってて。その飾りの五芒星の角が1つ欠けた形が、キラキラの髪飾りの歪んだ形にも見えるんですね。あと最後のシーンで神楽ひかりが乗ってる星も、五芒星が1つ欠けた形に見えるようにうまく隠れてる。それが神楽ひかりの現在の歪んだ心理を示しているのではないかと思われるのですよ。お話これからどうなるかわからないですけど。

ポジションゼロの場ミリ、ピンクのT字です。EDで桜の花びらが何度も描かれるので、それと関連してピンクなのかなってなんとなく。

東京タワー。愛城華恋の夢の中と、地下劇場に落ちていくときの2回、愛城華恋は落下させられています。神楽ひかりによって。で、地下劇場では東京タワー(らしきもの)の下で戦う。東京タワーの下で愛城華恋と神楽ひかりが向かい合う回想風シーンもありました。東京タワーの下での12年前の誓いを、地下劇場の東京タワーの元で果たす、みたいな感じなのでしょうか。あと、愛城華恋勝利からEDにかけて、赤い幕と螺旋と塔も意識的に描かれている様子。

キリン現時点では、高いところ括りでここの仲間。

「ワタシ再生産」。強い言葉だと思います。好き。ラッシャイの「輝き」みたいなキーフレーズでもあるように思われます。

スポットライト。最初はプロレスのリングのコーナーのような照らし方。愛城華恋、星見純那、神楽ひかりの3人が並んだ時は光の道の如く。汎用性の高い様々な魅せ方をしてくれそうです。

宝塚風の止め画。お昼ご飯の時と地下劇場での戦いの後とで、愛城華恋と星見純那の位置関係が入れ替わって同じポーズを取っています。反復。示唆的。他にも、神楽ひかり転入直後のダイジェストで、跳ぶ神楽ひかりとそれを見上げる愛城華恋ら3人のシーンが3回繰り返されます。

 

スリッパ。寮で別の部屋に行こうとする神楽ひかりを追う愛城華恋。わざわざスリッパ片っぽ脱がしたのはなんでやろ、っていう

 

お話のキーとしては、舞台少女としての覚悟、本気どみたいな要素があるのかなという感じ。

 

見ておきたいアニメ集

まだ見てないけどタイトルだけ知ってるやつを列挙しますそれだけ。

 

宮崎駿全般

もはや聖典なのでは。宮崎駿の本はいっぱい出てる。作家論

 

新世紀エヴァンゲリオン(TV版)

なんでお前まだ見てないの

 

細田守作品、新海誠作品

みとこ

 

押井守作品

パトレイバーイノセンス。95年の攻殻はみた

 

ディズニー、ピクサー全般

見て損はないでしょう。海外にも目を向けよ。

 

AKIRA

アイアン・ジャイアント

この世界の片隅に

MIND GAME

オトナ帝国の逆襲

太陽の王子ホルスの大冒険

宇宙戦艦ヤマト

銀河鉄道999

サイボーグ009

DEVILMAN crybaby

白蛇伝

未来少年コナン

ガサラキ

トップをねらえ!

輪るピングドラム

ガンダムシリーズ全般

ザンボット3

キルラキル

少女革命ウテナ

フルメタル・パニック!

アイドルマスターゼノグラシア

BEATLESS

マクロスシリーズ

エルガイム

ファイブスター物語

銀河英雄伝説

HUGっとプリキュア

ダグラム

セーラームーン

メガロボクス

フラクタル

ゼーガペイン

 

広く面白さが知られている作品を見て審美眼を高める。楽しみ方の引き出しを増やす。

 

 

何回も見たいアニメ集

革命機ヴァルヴレイヴ」ロボットと反復と異化

アルドノア・ゼロ」カミシモ構図と反復、人間劇とロボット劇のシンクロ

Re:CREATORS」創作論と反復と異化

「コンクリート・レボルティオ」

ダーリン・イン・ザ・フランキス」とミーイズムと多様性の寛容

涼宮ハルヒの憂鬱」と「中二病でも恋がしたい!」自分は特別じゃない

甲鉄城のカバネリ」と我

 

この作品実はこんなに面白いとこあるんですよ、こんなに面白い見方あるんですよ、をまずは自分の中で理解し文章化する、そしてそれを共有する。

 

 

 

 

 

 

氷川竜介×岡田斗司夫

22:55~

「面白いっていう定義が曖昧なのに、全員が見ているから面白いに違いないという強迫観念みたいなものに結構支配されているんじゃないかな」

「せっかくこんなにいっぱいタイトルあるから、自分だけの面白さっていうのを見つけるように、能動的にもう少しなんかした方が」

「俺だけがこの面白さがわかるっていうことをちゃんと言語化して、大勢の人に伝えるっていうことをみんなでやる」

「僕の仕事は、なんでこういう仕事があるかっていったら、そういう少しでも、さっき言った、ステマと思われてもいいから(製作者に依頼されて当該作品の”いいところ”を並べる仕事に対し)、本当はこういう面白さがあるんだよっていう、言語化はなかなか、特に映画やアニメなんかは、見終わった後に、感動ってなかなか言葉にならないじゃないですか。感情がワーーっと渦巻いてるから、それを思考の方に整理してあげて、できればもう一回見たいなって思わせることが使命だと思ってる。」

「いろんなアニメの語り方っていうのをこの十数年間」

 

高校の担任は「君は埋もれゆく作品の中から君が面白いと思ったものを掬い(救い)出してあげて」みたいな言葉をくれて、今ちょっと繋がった感がある。

 

www.youtube.com

 

 

 

続・アニメガタリ

続き

アニメを語る切り口について。

アニメ評論家という肩書きの人は氷川竜介さんと藤津亮太さんのお二人かなと思う。

氷川さんに関してはこの記事かなと。

会社を辞めてアニメ研究家になった理由――氷川竜介の場合。【前編】 | フリーランス、40歳の壁 | ダイヤモンド・オンライン

フリーは「仕事」こそが最強の営業である――氷川竜介の場合。【後編】 | フリーランス、40歳の壁 | ダイヤモンド・オンライン

 

藤津さん「アニメをみない人、好きなアニメがある人、アニメというジャンルが好きな人と3つあって、ちょっとでもいいからアニメというジャンルを好きな人を増やしたい。」

「腑に落ちる」

「批判してもアニメって面白くならない」

藤津さんに関してはまだあまり詳しくはないです。要調査

一番下のやつはご本人の運営されているサイトなのだろうか。

4月5日(木) アニメを知らない人へのポプテピピック解説(by藤津亮太) - YouTube

聞いてみなくちゃわからない#001/アニメ評論家・藤津亮太 前編 - YouTube

聞いてみなくちゃわからない#001/アニメ評論家・藤津亮太 後編 - YouTube

評論講座アニメガタリ

 

続いて山本寛さん。

アニメが好きなだけでやっていて、業界をどうすればいいか、とか、学術的にどう定義すればいいか、とか、どう巷を啓蒙すべきか、とか、そんなのには全くの関心がないのだ。

山本寛 公式ブログ - アニメ評論家3 - Powered by LINE

 

自分としては、自分が好きな作品を深掘りしたい、表層の筋書きだけじゃなく作り込まれた部分を知りたい。かつ新しい好きな作品に出会いたい。そういう意味では、藤津さんの「好きなアニメがある人、アニメというジャンルが好きな人」の間くらい。

テクスト分析と呼ぶのが正しいのかわからないけど、映像に表象されているものが全て、作者の意図なんかどうでもいい、俺がこの映像にこういう意味解釈を見出したんだから(俺にとっては)こういう意味だ!という論点を持ちたい。ただしそれは流し見の思い込みで判断するじゃなくて、映像に表象されているものに準ずるべき、みたいな。

そういう意味では、作り手へのインタビューの類は、面白いけど興味ない、というか。

「現代アニメ考」アニメーション評論の方法と態度

「現代アニメ考」アニメーション評論の方法と態度−補遺

インクエッジ@WF7-42-07 (@02Curry) | Twitter

 

でも、仕事としてアニメを語るためには、過去の多くの名作を見てある程度の理解をしていなければならないだろうし、氾濫する膨大な現行の作品にも目を通すべきだし。

高畑勲宮崎駿富野由悠季押井守、etc...

 

そこで、ちょっと飛躍するけどソシュールの「通時性」「共時性」みたいな考え方はできなくもなくて。氷川さん世代のように歴史には精通してなくても、アニメは語りうるかもしれないと気は軽くなった。

今、大学で映画の勉強を(一応)してて、映画の技術的なところも映画評論的なところにも触れられるかなとは思う。

 

藤津さんの「聞いて見なくちゃわからない」で主張してる「腑に落ちる」「批判してもアニメは面白くならない」は完全に同意だし納得。好きな作品だけどなんかよくわかんないとこあったな、っていうのもあるし、好きな作品を叩いてる人もいて。そういう時に自分が納得する(=腑に落ちる)ために、テクスト分析的な読み方をしてるのはすっごい面白いと思ったし、今こういう文章を書いてるのもそのせいだし。この人の信者と言っても過言ではないです。

インクエッジ@WF7-42-07 (@02Curry) | Twitter

 

自分の欲求と社会的な価値とかの間をうまくとるなら、志水義夫さんの「メディア文藝」という形が近いのかもしれない。

そもそも自分がクリエイターになりたいのか評論家になりたいのかもよくわからんし。アニメプロデューサー面白そうだなってのはなんか思ってる。

 

アニメガタリという題は「アニメガタリズ」からとったつもりだったんだけど全然既出なんですね。。。

 

 

アニメを語ること

アニメを語ることに意味を見出したい。そんなに語れているわけではないけれど。

まず、問題意識として、「アニメが消費されている」ことがある。アニメに限らず多くの物語は消費されているけれど。

世間一般に作品が氾濫し消費されていることも問題だが、自分がアニメを消費してしまっていることが1番の問題だと思っている。去年、あるいは前のクールに見た作品の内容があんまり思い出せなかったりするのが問題。

アニメ業界の問題でもあり受容する視聴者側の問題でもあって。

あと、数が多いのは個々のニーズには応えられるとは思うんだけど、他の人と見てるアニメがあんまり被らないから、リアルで同じ作品を語れないというのはある。いや、お前それはネットを使いこなせてないんじゃねーの、というのはごもっともなんですが。。。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8D%E3%81%86-%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%80%8C%E8%A3%BD%E4%BD%9C-%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E3%80%8D%E3%81%AE%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF-%E6%98%9F%E6%B5%B7%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8/dp/406511439X

 

単に好きだから語りたいというのもあるし、好きなものをみんなに知ってもらいたい、認めてもらいたい的な側面もあると思うし、こういう問題意識はとてもよくわかる。

長らくアニメーションにまつわる言説はアート・アニメが主流でした。評論家・研究者にとっては、最初から芸術として作られたそちらのほうが「語りやすかった」のです。テレビアニメは商業主義の産物で、アニメーション特有の「動き」や美術としての美しさよりもストーリーとキャラクターが主体で、大衆消費物として作られているぶん、「芸術」としては劣っているものとされ、長く真面目な批評の俎上に乗らなかったのです。

 しかし「大衆消費物」として作られたものであっても、それなりの歴史の積み重ねがあり、技術の厚みも増して、これを語る言葉がないはずはありません。語られなかっただけなのです。マンガやテレビアニメは、江戸時代の浮世絵に比することができます。浮世絵は初めから「大衆消費物」として描かれ、これを芸術としてみる人はほとんどいませんでした。ヨーロッパ人が初めて浮世家を見た時、日本から輸入した陶器の保護紙としてくしゃくしゃに丸めて使われていたといいます。しかしそこに描かれた絵の美しさにヨーロッパ人は驚嘆したのでした。こうして浮世絵は立派な「芸術」として認知されることになりました。氷川竜介さんがやろうとしたのは、かつての浮世絵的な位置にあったテレビアニメを立派な表現物として同時代的な批評の対象にすることでした。

会社を辞めてアニメ研究家になった理由――氷川竜介の場合。【前編】 | フリーランス、40歳の壁 | ダイヤモンド・オンライン

「文学は個人作業だけど、アニメのクリエイションは集団作業でしょう。それに「ビジネス」として大金で作られる宿命もある。純文学を語る上では夾雑物とされる事象も考慮しないと、アニメの真髄は語れないという想いもあります。」

 

集団作業っていう点に関しては映画も同じだから、映画 が如何に学問になったかというのは参考になるやもしれん

 

 

でも「消費したい欲」も確かにあって、そのお話を初めて見る時の衝撃みたいなものを得たいと思ってる。ネタバレに敏感なのはそういうことだと思ってる。

たくさんのタイトルを見たいという欲もある。今期何見よっかなーって一覧見たら面白そうな作品はいっぱいあるし、世間で話題のアレも見たいなーと思うし、AmazonPrimeやらで見られる過去タイトルも勧められたりなんなりで見たいなーって思う。

数が多いゆえに、体系的に語ることも難しいなと感じる。氷川竜介氏のような引き出しの多さ、生き字引的な知識量は、2000年生まれには持てないという諦めを感じる。

 

 

ところで、現在私は大学で映画を学んでいるのだが、映画を語る(学問する)上で、大きく

①映画史 映画の(技術発展の)歴史

②映画理論 表象作用としての映画

③映画批評 感動に言語で迫る

の3つに仕分けられるようだ。

まずアニメ史を考える上で「アニメ」と「アニメーション」は区別されるべきだろう。

アニメ』と言えばジャパニメーションやディズニー、その他米国でのメジャーな映画・TV作品

アニメーション』と言えば実験アニメーション、自主制作アニメーション、アートアニメーションなど、上の『アニメ』に属さない、(現在での段階では)マイナーなアニメーション作品群

アートアニメーションとはなんだろうか(ArtAnimation私的調査室)

 

アニメの範囲にあるものの中は実はたくさんあって、その中で語りたい”アニメ”は現在見られるもの、30分×12話を1単位としたテレビアニメあるいは120分前後のアニメ映画で、そうなると非常に都合のいい区分け方しないといけなくなっちゃう。

アートアニメーションみたいなのとか好きな人もいると思うけど、自分が語りたい対象で敢えて区分けるなら、『鉄腕アトム』以降かなって感じに思われる。氷川竜介氏もそうしてるようだ。

氷川さんは今、明治大学大学院で客員教授(2018年4月より特任教授)として教鞭をとられています。講義は前期・後期に分かれ、前期はTVアニメを中心とする50年史。単に作家の歴史とかプロダクションの歴史ではなく、時代背景から含めた「アニメビジネス通史」と銘打っている講義です。

フリーは「仕事」こそが最強の営業である――氷川竜介の場合。【後編】 | フリーランス、40歳の壁 | ダイヤモンド・オンライン

www.nfaj.go.jphttp://www.nfaj.go.jp/exhibition/filmclassof2018-animation/

アニメの歴史 - Wikipedia

アニメ - Wikipedia


 

次に「アニメ理論」なるものを掲げるなら、アニメというメディアの特性を考えたり、アニメ独特の表現技法を学ぶことがこれに当たるだろう。

単に作画が良い悪いとかでなくて、絵の動かし方の特徴など、実際にアニメ作ってる方たち以外にはわかりにくいことが多そう。これも氷川竜介氏が明治大学の院で後期に教えてくれるらしい。教科書作って欲しいわ。

anime.eiga.com

diamond.jp

 

アニメ批評、となると、個々の作品について深めるって感じだと思う。これが一番興味ある。やっぱり自分が好きなものを深めたい。

でも、そのためにこそ古典を見たり、技術的に秀でたものを見るのも必要だと思う。面白そうだし。興味ないけど面白そうってのは確かにあって。好きなものをいろんな面から語れることには憧れるしかっこいいし。岡田斗司夫が「オタク・イズ・デッド」で語ったオタクのノブレス・オブリージュ的な感覚はなんかわかる。語る引き出しは多いほうがいい。

 

個人的に興味あるのはこういう感じの。

なんてくくったらいいのかわかんないけど、1回流し見しただけじゃ気づかないようなのが好み。見ればわかるわそんなん!!ってな奴を「考察」って言ってるのはやだ。考察どころか感想ですらなくて、セリフとキャプチャの列挙やんけ!みたいなの。

 

ディケイドもはやアニメじゃないやんけ!というのは尤もで、アニメを語りたいなどと言いつつ実際は好きな作品の知らない一面を見つけたいというのが1番の欲求なのかもしれない。見えるものから何が解釈しうるか?みたいな?ただストーリーをなぞるだけじゃなく。

そういう点で、多くのアニメ雑誌は設定画とか版権イラストみたいなビジュアルや監督、声優へのインタビューなど表層に終始している印象で、そこから何が解釈しうるか、とかが個人的には欲しい。

blog.livedoor.jp

 

aiba.livedoor.biz

 

www.yomiuri.co.jphttp://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3144http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3144

青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2018年3月臨時増刊号 総特集=岡田麿里

 

でもこれだけじゃなくて、例えば「魔法少女」モノの歴史みたいなのには少なからず興味があったりして、「魔法少女まどか☆マギカ」からハードルが上がった(と自分は勝手に思ってる)「魔法少女」を冠する作品が、2018年春には「魔法少女サイト」「魔法少女 俺」と路線の違う2つが出てきたりして面白いなーとか、作品単体を深めるだけじゃなくジャンルの変遷だとか社会背景とかも興味はある。でもこれに気づけたのって、大学入ってリアタイするアニメのタイトルが増えたからってのはある。それは同時に、自分の中で”消化”傾向が強まったってことでもあって、複雑。

 

アニメを語る別な切り口として「メディア文藝」という考え方もあるらしい。

志水義夫氏によると、感動を伝達しようとする試みが文藝で、そのためのメディアが音声→文字→映像と変遷してきたのであって、映像によって語られるアニメも文藝たり得る、アカデミックに議論すべき、というもの。諸々の記事を読んでいると、80年代にアニメをアカデミックに議論しようとする流れはあったと目にしたが、それに関する詳しい情報は現状得られていないです。

あと、大学の授業でアニメを見たりすることはしばしばあるんですが、だいたいの人は何かしらアカデミックな専門領域を持っていて、アニメをダシに自分の主張をしたいだけ、学生の気を惹くためにアニメを利用してるに過ぎないのではないかと勘ぐってしまう。無論そういった大学教員の中には本当にアニメ好きな人もいっぱいいるだろうから一概にはいえないんだが。その点に関して「メディア文藝」という考え方を打ち出しているのはアニメそのものに焦点を当てていて好感。

とは言いつつも、例えば「君の名は。」にフロイトのこういう考えが反映されてる、という風にも読めますよ、みたいな解釈は面白いし興味あるし。そういう意味ではいろんな哲学やら”文学部としての教養”みたいの広く浅く知っておく必要はある。

志水義夫関連

http://love.ap.teacup.com/korremitz/html/mifuqusi201807ver1.0.pdf

https://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E6%B3%95%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%81%8B%E2%98%86%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%AB%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E2%80%95%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%96%87%E8%97%9D%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85%E2%80%95-%E6%96%B0%E5%85%B8%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-71-%E5%BF%97%E6%B0%B4-%E7%BE%A9%E5%A4%AB/dp/4787961713/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1530689429&sr=1-2&refinements=p_27%3A%E5%BF%97%E6%B0%B4+%E7%BE%A9%E5%A4%AB

アニメを既存の学問に組み込む的な発想の本

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%81%A7%E8%AB%96%E6%96%87%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F-%E3%80%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%80%8D%E3%82%92%E5%AD%A6%E5%95%8F%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95-%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%A5%A8%E6%B2%BB/dp/4623079422/ref=pd_sim_14_1?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4623079422&pd_rd_r=0aaea13d-7f5e-11e8-8a71-0185372cf18d&pd_rd_w=UTGq0&pd_rd_wg=AetoN&pf_rd_i=desktop-dp-sims&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_p=7990452376513976631&pf_rd_r=B9HKNK5KJAYFNK31Z27Z&pf_rd_s=desktop-dp-sims&pf_rd_t=40701&psc=1&refRID=B9HKNK5KJAYFNK31Z27Z

 

実は「オタク・イズ・デッド」を見ながらここまで書いてて、そしたら「オタク・イズ・デッド」は自分にとっては無視できない内容だなと感じてきて。

好きな気持ちを持ってるだけでなく自分が周りの人に伝えるしかない、みたいな主張があって、それは当たらずも遠からずというか。
将来はアニメ作るかアニメ語るかおもちゃ作るかを仕事にしたいなーって自分が今なんとなく思ってるのは、アニメや変身ベルトの玩具に対する蔑視を払拭したいとか、仕事にすることで誰かにそういう自分が好きなものを認めさせたいとか、そういう欲求なのかなと感じたりして。
 
オタク・イズ・デッドに関連して話進めると、

オタクのノブレス・オブリージュ的な感覚について。

今自分が実際見てるのは、世間の評判が高いものでも学術的な評判が高いものでもなく、自分がみたいもの且つ手軽に見れるもの(リアタイとアマプラw)だったり。「アニメを語りたい」に真摯に向き合っているとは言い難い。

1stガンダムと初ゴジは見た。でもヤマトもマジンガーZマクロスもTV版エヴァも見てない。教養がない的な。「ロボットアニメが好きなんです〜」って言うとオジサンたちは「ファイブスター物語とかエルガイムとか知ってる?」「ダグラムとか知ってる?」とか聞かれるんだけど、「ガンダムはSEED以降なら。。。」「ヴァルヴレイヴとか好きです。」ってなる。

共通の話題が欲しい気持ちは確かにあるが、他人に合わせるために自分の好きじゃないものを見るのは違う、けど人に紹介されたものが気になってるのは確か。語れる人がいないというのは確かに根底にはあるのかもしれない。そういえば高校の頃は勧められた且つ見たいものを見てたし、ただただ流行ってるからってだけで見るのは嫌だった。でも流行ってる作品はなんだかんだ見てみたら面白いものはいっぱいあるし、好みじゃなさそうってだけで食わず嫌いするのもよくない。うーん。保留。

 

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語る上で欠かせない要素の一つとして、「人気作品を語ったものは見てもらえるけど、そうでないものは見てもらえない」点はあると思う。

エヴァを語る本は本屋さんにもたくさん出てるけど、例えばヴァルヴレイヴ考察本なんてのはせいぜい同人誌止まりだと思うの。出版することへの拘りはあんまないけど、卒論とか仕事とかってなってくると、やっぱメジャー作品を語らざるを得ないというか。「君の名は。」とか好きだし語りたいし実際レポート書いたし。

好き100%で語るならブログ書いたりとかで全然構わないわけだけど。

 

ここまで書いて、とりあえず何か書かないとなんも始まらねえなということに気づく。語られたものを読んでしかいないので、まずは自分で語りましょうよ、と。

1個の作品にじっくり向き合うのはとっても難しいことだけど、好きに向き合っていきたい次第です。

 

 

ソードアートオンライン2期総括

1期をみて劇場版をみて、それから2期を見ましての感想を。

 

作中を貫いているのは

ゲームでの自分/リアルでの自分、ゲームでの経験/リアルでの経験、左右二者の一致と分裂で、キャラクター達は分裂に悩み一致を選び取る。読者が一致サイドに肩入れしやすいように、作者は限りなくリアルの感覚に近いゲームを設定したり、超かっこいい主人公が一致サイドだったり、そもそも読者層がオタクだからもともと一致サイドだったりして、それがオタクに支持される理由の一つかもしれない。

 

ファントムバレット編

大切な人を守るためにリアルで銃を撃ったシノンが、大切な人を守るためにゲームで銃を撃つことでその過去を克服する。

大切な人を守るためにゲームで人を切ったキリトは、人を切ったことを忘れていた罪悪感を乗り越え、それを自分と重ねることでシノンを救うことができた。

 

SAOという特異な設定がサバイバー達にもたらしたものは大きい。それはキリトでもアスナでも、デスガンでも、エイジでも。

キリトやアスナは、SAOに関連した、即ちゲームとリアルとの一致に関する困難に直面しそれを乗り越える。困難の象徴として何かしら敵キャラが出てくる。今回はデスガンこと新川兄弟。

"敵"は、何かしらゲームとリアルとの一致の仕方が歪んでいる。と思う。

新川兄はSAOでの殺戮者だった自分から戻ってこれなかった。新川弟は現実逃避としてゲームに傾倒しすぎたあまり、プレイヤーを現実に殺したいほど憎んだ。その利害の一致からデスガンが生まれた。

 

仮想世界なんかない、その人がいる場所が現実、だからこそキリトやアスナやサバイバーの面々はリアルでも会ったりして、リアルとゲームの両方での付き合いのバランスがある描き方をしてるのかな、なんて。彼らはたまたま幸せになったからよかったものの、サバイバーの誰もがその危うさを秘めており、彼らのifとして描かれてるとも言える。?てかこれ実質マトリックスなのでは?

 

ところで、新川くんの「ファンタジー系のゲームで夫婦になって子供作って」ってこんなに気持ち悪っぽく聞こえるんだなって面白い。須藤といい彼といいこのキモさと陵辱的なシーンは作者の趣味を感じる。ケーキの箱が潰れてくことで新川くんの愛情の歪さを表現してるのが印象的でした。

 

逆にいうと、VRMMOがリアルとゲームの区別をつけなくさせるほどの狂気の技術であるとも。

ゲームに逃避する、現実に逃避するんじゃなくて、ゲームの私が現実の私の背中を押してくれる、そういう風にありたいということ。それが殺人とかじゃダメなんだけど。ゲームとリアルの適切な関わり方てきな。

 

キャリバー編

映画での100層ボス攻略みたいなファンサービスにも思われる。でもなんか引っかかるところがあって、よくわからない。今度また。

 

マザーズロザリオ編

自由な身体を失った少女が、仮想の肉体を駆り束の間の生を謳歌する。

単に技術が幸せをもたらすアイデアだけでもびっくりしたけど、ゲームとリアルとを繋げる補強としても良い出来。ユウキが幸せだったことを誰が否定できよう。

ユウキが学校に行きたいと言った時、ALO内に学校を作ってみんなで学校ごっこをするのかとでも思ったのだけど、映画に出てきたユイのカメラを使うとは思わなんだ。

ゲーム世界での身体だけじゃなくて、部分的ながらリアル世界での身体をも獲得させてしまうことは、フルダイブ技術の可能性を存分に見せてくれる。

そこにフルダイブ技術に対するママの価値観の変容やアスナとママのやり取りを配置することで、お話により深みや重層さを増してくれている。アスナとユウキの相互的な関係を形成してくれている。

 

 

映画見てて思ったことが、わりと2期で直球表現されてたのは嬉しいようでちょっとがっかりもした。

思ってたよりだいぶ言葉で直球に説明されちゃってたのが、作者の掌で踊らされてた感がある。それでもお話が普通に面白かったのでよき。

 

修行について

サイボーグに関して、侵襲式の強化には抵抗を感じたのでその原因を探るべく考察しました。

身体的なアイデンティティの喪失に起因すると思ったのでそこから。

 

まず人間の身体能力の変化について、4つの分類を考えました。速度と+−に注目して、

・修行(+、遅い)

・老化(−、遅い)

・改造(+、速い)

・事故(−、速い)

改造ってのはサイボーグのこと、本題。

事故ってのは交通事故とかそういうやつ。

 

例えば、事故で全身不随になってしまったとしたら、それはきっととても辛いだろう

これについては創作と実話とで事例をいくつか挙げると、

海を飛ぶ夢

最強のふたり

・おしゃべり目玉の貫太郎

1個目の例は、全身不随を受け入れられずに安楽死を望む話。2、3個目の例は全身不随を受け入れてる話。3個目については、はじめは受け入れられなかったけど徐々に肯定したのだそう。ここから、身体的な変化に適応するには時間がかかるであろうということ。

では次に、老化による身体能力の低下について。実際に老化を体感したことはまだないが、例えば歳をとって重度の認知症になって自分や自分の周りのことがわからなくなってまで、或いは歳をとって歩いたり日常生活が自分だけでできなくなったりしてまで長生きしたいか、と考えてみる。これはめちゃくちゃ難しい問題だと思う。事故であれ老化であれ、今まで通りの生活が出来なくなったくらいでは人間の生命の尊厳は失われない、それでも必死に生きようとする姿こそ尊いとも言えるし、逆に最も理想的な状態で命を終わらせることを良しとする人もまたいるだろうし。

 

こんどは+方向について考えてみる。

スポーツの練習とか、勉強とか、身体で覚えるだとか感覚を身につけるとかそういうのが修行だと思ってる。

対する改造はサイボーグ化するとか、ガンダムに乗るとか、脳みそをインターネットにつなぐとかそういうこと。

未来に技術がどこまで行くかはわからないから想定できる範囲で話すと、

例えばガンダムに乗るとして、ゲームが上手い人が乗るのと、飛行機のパイロットが乗るのと、武道の経験がある人が乗るのとではポテンシャルが違うよねって思って、そしたら結局は修行と改造の併用共存が必要になる。

脳みそをインターネットにつないでいつでもGoogle検索かけられるとして、ある程度基礎知識がないと何て検索すればいいかわからないよね、とかそういう。

で、もしテクノロジーによってゲームの経験とか飛行機操縦経験とか武道経験とかが補えるとしたら、つまり意志とは関係なく動くとしたら、それは果たして本当に自分がガンダムを操縦してると言えるのか、すなわちそれはただの自律駆動人形となってパイロットを必要としないのではないかと。

ユニコーンガンダムがいくら脳波をダイレクトに読み取るからといって、阿頼耶識システムがいくら直感的に操縦できるからって、パイロットに戦闘経験がないと銃弾や斬撃には反応できないはずで。

そしたら結局身体能力を強化するとは言えなくなってるわけで。

自分がサイボーグになってたりガンダムに乗ってるってことは他の皆もまた同じような強化を施されていると考えるのが妥当だからまあそうなると思う。アニメの主人公なんかは他と違う特別な強化を施されるけど現実的ではないかな。

この発想は結構大事だと思ってて、すなわちサイボーグ化というのは画一化と同じってこと、ここにもアイデンティティの危機が出てくると思う。単に急激な変化だからってじゃなくて。

 

するとだな、最初に示したうち能力が低下する方は検討する必要ないってことになるか。、、、

 

肉体が画一化されるとその個性はパイロット(精神、経験値?)の能力に依存するし、それすらも技術により画一化するならばそこに生身の人間は最早必要ない。

そしたら意識をネットにアップロードした新たな生命のかたちが生まれるのかな。それは想像することすら難しい。。、

 

生物の遺伝子の本懐として、なるべく多様化し個性を生むことでイレギュラーに対応し種を保存するっていうのがあると思うんだけど、肉体の画一化はそれに反するよねと思う。

 

 

この手のことを考えてるといつも結論は出ないものだ。。。今日はこれにて閉幕。。。。。。、